採れたて本!【歴史・時代小説#15】
昨年『木挽町のあだ討ち』で直木賞を受賞した永井紗耶子の新作は、戯作『勇婦全傳繪本更科草紙』などを書いた栗杖亭鬼卵と、寛政の改革を行った松平定信との交流を描いている。タイトルは、鬼卵が営む煙草屋の屋号「きらん屋」と、定信の号「風月翁」に由来している。
家督を定永に譲った後も政に口を出していると家臣に諫言された定信は、腹を立て旅に出た。大井川の増水で掛川に足止めされた定信は、鬼卵という面白い文人がいるとの話を聞き「きらん屋」を訪ね、鬼卵は自分の人生を語り始める。
名字はあるが武士ではない武家奉公人の家に生まれた文吾(後の鬼卵)は、文人趣味があった父の影響で狂歌師の栗柯亭木端の門下になり栗杖の号をもらい、絵も描くようになる。十五で父を亡くし武家奉公に出た栗杖は、連歌の会で知り合った狭山藩大目付の村上庄太夫が御家騒動で不名誉な死を遂げたと知る。木端の勧めと、造り酒屋などの経営者にして文人の木村蒹葭堂の協力もあり、庄太夫の名誉を回復する御家騒動の真実を書いた栗杖は、筆は卵、そこからは神仏も鬼も出て人を救いも食らいもするという木端の言葉から、号を鬼卵に改める。
その後の鬼卵は文章でも絵でも鳴かず飛ばずで、蒹葭堂に三河吉田へ行って心機一転をはかるよう勧められる。鬼卵が、『雨月物語』で注目を集める上田秋成、人気の絵師になりつつある円山応挙に将来を相談する場面は、学校や職場に慣れたが故にその先がイメージできない若い世代は共感が大きいように思えた。
「きらん屋」に来たのが定信と知ってか知らずか、鬼卵は、湯島聖堂で朱子学以外の学問を禁止したり、卑俗な芸文が犯罪を増やすと取り締まったりした寛政の改革が、社会を意のままにしようとするお上の傲慢だったと語る。父の教訓「楽しいことをせい」を胸に、公家、武士、町人が身分に関係なく議論できる文人ネットワークの中で自由に生きた鬼卵は、忠義や金銭で人を縛り、為政者が無能なら下々の生活が困窮する現状を批判的に見ていた。戯作で庶民に夢を与え、文人ネットワークを発展させるため『東海道人物志』を書くなど好きを突き詰めて厳しい現実に抗った鬼卵の姿は、推し活が人生に活力を与えると気付かせてくれるはずだ。
『きらん風月』
永井紗耶子
講談社
評者=末國善己