採れたて本!【デビュー#45】

私事で恐縮ですが、劉慈欣『三体』の翻訳に関わったおかげで中国SF界と縁が深くなり、3年前、四川省の成都で開催された世界SF大会に参加した。そのメイン会場となった成都SF館は、ザハ・ハディド・アーキテクツが設計した、いかにもSF的なデザインの、曲線が目立つ建築物。東京の新国立競技場はコンペでザハ・ハディド案が選ばれたにもかかわらずあえなく白紙撤回されたが、成都SF館は着工からわずか1年で完成し、世界SF大会でこけら落としを迎えた。よきにつけ悪しきにつけ、いまの中国はとにかくスピード感がすさまじい。
そういう中国の建築事情を題材にしたのが、先だって芥川賞候補になった仁科斂「丹心」。受賞は逃したものの、現在の中国に多少なりとも興味がある人間にとっては、じつに面白い作品だった。
本書『丹心/まごころ』は、その中編を「丹心/まごころ」と改題し、前日譚というか姉妹編にあたる「さびしさは一個の廃墟」とともに収録した、著者のデビュー単行本にあたる。
2編に共通して登場するのは、東京の総合大学大学院の建築科博士課程に在籍するレン。レンの一人称(ぼく)で語られる新潮新人賞受賞作「さびしさは一個の廃墟」では、レンは奄美大島に長期滞在中。破格のバイト料につられて観光ガイドの仕事を引き受け、奄美群島の枝手久島に赴く3人の中国人に同行して、三泊四日のキャンプにつきあうことになる。彼らの目的はリゾート開発のための事前調査らしいのだが、のっけから思わぬトラブルに巻き込まれることに……。
続く「丹心/まごころ」では、そのレンとともに、レンの指導教官で建築科の教授だった建築家の鹿野川航(52歳)が主役を務める。小説の冒頭、鹿野川が新たに依頼されたのは、浙江省寧波市の郊外にある廃墟マンション(建築途中で工事がストップし、打ち棄てられたままになっている)を美術館に改築するために設計し直す仕事。メールで依頼してきたのは、前作でレンが枝手久島に案内した3人の中国人のうちのひとり、ミスQだった。着工までわずか4カ月しかないというめちゃくちゃなスケジュールだが、〈美術館設計は、すべての建築家にとって最終の夢である〉(本文より)以上、鹿野川に断るという選択肢はない。というわけで、助手のレンが実働部隊というかプロジェクトの尖兵として現地に赴くことになる。
広大な中国の全土に、数限りなく建っているこうした建物はインターネット上で爛尾楼と呼ばれた。工事の尻尾が爛った楼、という意味だ。(中略)鹿野川が改築を引き受けた爛尾楼は、平原の真ん中にすらっと一本塔が立ち、どの方向から見ても区別しようがない四面が等しいタテモノだ。五つ一列の「□」がどこまでも積まれて上に到達する前に数える気が失せる。
いざ着いてみると、この爛尾楼には、前金を払ったマンション購入者が未完成の部屋に勝手に思い思いの内装を施して住み着き、あたりには糞尿の悪臭が立ち込めている。資産家令嬢であるミスQはヤクザ(青幇)を雇って彼らを立ち退かせると言うのだが、やってきた3人はまるで役に立たず、レンが交渉の前面に立つ羽目に──と、このあたりのドタバタが無類に楽しい。
ちなみに、同じ寧波市の中心部には、鹿野川が尊敬してやまない、現代中国を代表するプリツカー賞受賞建築家の王澍が設計した寧波博物館がある。『三体』の中国版ドラマで、作戦指令センター(地球防衛拠点のひとつ)の外観に使われたことで有名──という話はこの小説でもちゃんと言及されている。
同じく作中には、日本でも大ブームを巻き起こしたラブブ(中国企業POP MART発のキャラクター人形)の最新シリーズをミスQに贈るべく、レンがヤクザたちに命じてショップの行列に夜通し並ばせる話が出てくるが、去年、僕が二度めに成都に行ったとき、新興SFエージェント企業の若き女性創業社長が日本のゲストたちにプレゼントしてくれたのがまさにそのラブブだった。
というわけで、この小説は、次々にトラブルが襲いかかるなか、めちゃくちゃなプロジェクトの最前線に立って右往左往するレンを通して、2025年の中国が驚くべき解像度で活写されている。それと同時に、芥川賞選考委員の川上未映子が選評で〈この作品には独特の向日性があ〉ると書くように、いまどき珍しいほど明るい小説でもある。
ところで、昨年11月の首相発言以来、日中関係が急激に冷え込んだ影響で、『三体』がらみのいくつかのプロジェクトも進展が止まっているらしいのだが、そうした変化を踏まえたうえで書かれたこの小説の結末(2026年現在の後日譚)も、しみじみと感慨深い。
評者=大森 望






