◉話題作、読んで観る?◉ 第64回「春に散る」
8月25日(金)より全国公開
映画オフィシャルサイト
ノンフィクション小説『一瞬の夏』『深夜特急』で知られる沢木耕太郎が、2016年に刊行したボクシング小説の映画化。上下二巻ある原作を、瀬々敬久監督はバブル期に青春を過ごした世代と、失われた時代を生きる今の若者との価値観がクロスするドラマにまとめた。
広岡(佐藤浩市)は米国でホテル経営者として成功を収めたが、プロボクサーとして挫折した過去の持ち主だった。40年ぶりに帰国した広岡は、居酒屋でのトラブルがきっかけで、若いボクサー・黒木(横浜流星)と遭遇。物のはずみで、黒木をクロスカウンターで倒してしまう。
広岡はかつて同じジムで汗を流した佐瀬(片岡鶴太郎)、藤原(哀川翔)と再会し、シェアハウスすることを持ち掛ける。そこに「ボクシングを教えてほしい」と黒木が現れる。人生のゴールを意識する広岡らと、燻った日々を送っていた黒木との共同生活が始まった。やがて、九州にいた広岡の姪・佳菜子(橋本環奈)も合流。黒木を世界戦に挑戦させることが、広岡たちの生き甲斐となっていく。
原作から大きく変わったのは、佳菜子のキャラクター設定。広岡にシェアハウス用の物件を紹介する不動産屋の社員から、病気の父親の介護を続けてきたヤングケアラーとなった。また、黒木もボクシングジムの息子ではなく、シングルマザーと団地で暮らす貧しい家庭の出身に。明るさを封印した橋本環奈、野生動物のように目をギラつかせた横浜流星の表情が印象的だ。
見どころとなるのは、1年間にわたるトレーニングを積んだ横浜のファイトシーン。世界王者・中西役の窪田正孝も『初恋』『ある男』でボクサーを演じており、迫力あるクライマックスとなった。黒木のライバルとなる大塚(坂東龍汰)が試合中に自分の限界を悟り、天井を一瞬仰ぐカットも忘れ難い。
失明の危険を冒して試合に出場しようとする黒木が「今しかないんだ」と訴える場面は、沢木の初期代表作『テロルの決算』からの引用。「いつか」はやってこないという『クレイになれなかった男』を彷彿させるやり取りもある。
沢木作品の初の長編映画化。彼の作品に長年親しんできた読者は見逃せない。
原作はコレ☟
(文/長野辰次)
〈「STORY BOX」2023年8月号掲載〉