◇長編小説◇日明 恩「水際守護神S」──第2話 Treasure hunting〈前編〉

◇長編小説◇日明 恩「水際守護神S」──第2話 Treasure hunting〈前編〉

羽田に北京便が到着した。税関ブースには、検疫探知犬も臨場する。

 犬が自分に向かってくると気づいた女性がその場から離れた。単に犬が嫌いか、それともマズいと思ったかは、ニールが座るかどうかで分かる。

「エクスキューズミー、バゲージチェック」

 女性に向かってハンドラーが声を掛けた。その場に立ち止まった女性に近寄ると、ニールは後ろ足で立ち上がり、ボストンバッグの臭いを嗅ぐ。前足を地に着けるとすぐさま床の上にお座りした。

「あったな」「ありましたね」

 槌田と英の声が重なった。

 女性とニールとハンドラーのところに検疫官が駆けつける。さきほどカメの件で協力してくれた川相(かわい)だ。川相に促されて女性は検疫カウンターへと向かうが、その足取りは重く、ボストンバッグの持ち手を強く掴んでいるように見えた。

「確信犯だな」

「みたいですね。見に行ってみます?」

 税関の管轄ではないが、一体何を申告せずに持ち込もうとしたのかには興味がある。槌田は迷うことなく同意した。

 二人がカウンターに着いたときには、すでにボストンバッグは開けられ、中のものが取り出され始めていた。パーカーやタオルなどの布製品が次々に並べられていく。今のところ食品らしきものはない。次の瞬間、川相が大きく鼻から息を吐いた。上げた手には銀色の四角いバッグが下がっていた。どう見ても保冷バッグだ。

 とたんに女性が大声で喚き出す。それを無視して川相が保冷バッグのチャックを開けた。「あ〜」と、声を上げながら、川相が手で中を探った。三十センチに満たない塊が次々出てくる。全部で十二個だ。正体が分からずにさらに近寄る。外側は紙に覆われている。それも濡れた紙にだ。川相が保冷バッグの上で紙を外した。出て来たのは紐で縛られた楕円形の物体だ。しかも両端が微妙に動いている。

「蟹だ」

 槌田が思ったのと同じことを英が言った。

「これは日本に持ち込めませんから」

 にべもなく川相が女性に宣告する。だが女性は聞き入れられないらしく、かなりの剣幕でまくし立て続けている。遅れて通訳が到着したが、法律により日本には持ち込めないこと、ここで権利放棄するしかないことを伝えるので精一杯らしく、女性が言っていることは翻訳してくれない。

「今日買ったばかりで新鮮だから平気だ。私は料理人だから問題ないって言ってます」

 英が中国語に堪能だとは知らなかっただけに槌田は驚く。

「旅具にいましたから、意味が分かる程度です。話すことは出来ません」

 謙遜だろうと槌田は察する。謙虚というよりは、能ある鷹は爪を隠すタイプらしい。

 川相は女性を無視して蟹をトレイに載せて、背後のカウンターへと移動させた。通訳に怒りの矛先を向けていた女性が気づいて、川相を大声で呼び止め、さらに早口でまくし立てた。

「どこに持っていく? 盗むの?」

 英の通訳する声が聞こえる。

 盗むも何も、だろうと槌田は思う。

「じゃあ、一つだけあげる。あとは返して」

 そういう問題ではない。違法なのだ。機内で申告書類を書いたはずだ。そこには日本国内に持ち込めないものについての説明もある。それを、知らない見てない、だから良いだろうで、どうにかなると思っているのならば、思い上がりも良いところだ。

「駄目なものは駄目です」

 用紙を手にして女性に向き合った川相が、はっきりと日本語でそう言った。その顔は満面の笑みに見えた。ただし目は冷たく暗い。カメの密輸犯への罰則強化を語ったときと同じく、底知れぬ怖さを孕んだ不穏な笑顔だ。気圧されたのか、女性が初めて口を噤む。

「では、権利放棄の手続きを」

 何事もなかったかのように、川相は女性に用紙を差し出すと、サインをする箇所を指示する。女性は粘ったところでどうにもならないと観念したのか、しぶしぶ書類にサインしだした。

 確信犯で違法行為を犯そうとして、それを摘発されたら文句を言う。税関もだが、検疫も大変だな、と槌田は思う。

 それにしても、生きた蟹を持ち込むとは。中国で買った方が安いのだろうが、いくらの得になるというのだ。そこまで考えて疑問が湧いた。さきほど生きたカメを持ち込もうとした密輸犯を摘発した。カメでもワシントン条約に該当しない種は、申告をして適正な税金を支払えば国内に持ち込める。だが今回の蟹は問答無用で放棄扱いとなった。食用だからということだろうか?

「この蟹は検疫でアウトってことなのか?」

 こそっと英に訊ねる。

「これは生きた上海蟹なんで、特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律違反です」

 答えたのは川相だった。聞こえていたとは思わなかっただけに驚く。

「なんで、管轄は環境省でウチじゃないです。でも最終的には、ウチの加熱処理機にかけますけどね」

 相変わらずの人を舐めているようにも聞こえる軽やかさだ。だが決してそうではないのは、すでに槌田も知っている。

「まただ。林原(はやしばら)さん、あとは任せていい?」

 カウンター内のもう一人の検疫官に声を掛けると、川相は税関エリアに出て行った。その先には、トランクが大量に積まれたカートと、ニールのお座りする後ろ姿があった。その姿は決して大きくない。だが、ニールもまた国防の最前線で戦っている一人、いや一匹なのだ。

 川相が引き継ぐと、ハンドラーはまた次の旅客の荷物へとニールを誘導する。まっすぐ立てられた先だけ白いしっぽを揺らしてニールが進む。その姿には、もはや頼もしさすら感じる。鈴木たちが検疫探知犬の話をしていたときには、その内容にぴんと来なかったが、今ならば分かる。

「男前ですね」

 感心したように英が言う。

「だな」と槌田も同意した。

(後編へつづく)
〈「STORY BOX」2019年8月号掲載〉

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日明 恩(たちもり・めぐみ)

神奈川県生まれ。日本女子大学卒業。2002年『それでも、警官は微笑う』で第25回メフィスト賞を受賞しデビュー。他の著書に『そして、警官は奔る』『埋み火  Fire’s Out』『ギフト』『ロード&ゴー』『優しい水』『ゆえに、警官は見護る』など。

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