◇長編小説◇日明 恩「水際守護神S」──第2話 Treasure hunting〈前編〉
座学で麻薬探知犬のハンドラーは税関職員が務めていると学んだ記憶があるだけに槌田は首を傾げる。
「警察犬と同じですよ」と言われて、状況が飲み込めた。
警察犬には各都道府県警が実際に飼っている直轄警察犬と、民間で飼っている嘱託警察犬の二種類があり、頭数は後者の方が多い。単純に、犬一頭を仔犬のときから飼育して訓練するということがとても大変で時間も労力もかかるからだ。
「警察と税関や検疫では組織の大きさが違いますからね」
組織の大きさは予算の大きさに直結する。警察が充実しているとは正直、槌田は思っていない。けれど座学の研修と今日一日の現場研修で、税関や検疫はよりやりくりが大変だろうと気づき始めていた。
「行きますか?」
英が自動ドアへと身体を向けた。
夕食は後回しにしたいと要望を発する前に「私も夕食は八時過ぎで構いませんが」と言われる。
またもや考えを読まれたことに舌を巻きつつ、槌田は「はい」とだけ答えて自動ドアに向かって歩き出した。
税関待機ブースのパネルで、十九時台の到着は、零分サンフランシスコ、十分シンガポール、二十五分ホノルル、四十五分広州、北京、五十五分台北の六便と確認してから、旅客の邪魔にならない位置で槌田は英の横に立った。サンフランシスコ、シンガポール便までは違反者もおらず、恙(つつが)なく検査が進んだ。スーツケースを引いた二十代らしき女性が近づいて来る。どこかほっとした表情だ。無事に帰国したことにだろうが、申告せずに持ち込んだものが見つからずに済んだ安堵の可能性もある。
正直、見落としはあるだろう。ことに自分用のブランド品一つとか二つを申告していないといったような者は、かなりの人数を見落としているに違いない。だがとてもではないが、旅客全員の荷物をすべて開けてチェックしてはいられない。
罪は犯さない。これは誰しもの心に根付いている倫理観のはずだ。警察官として法を犯す者と対峙してきたが、人の物を盗んだり人を傷つけたりしても全く罪悪感を持たない者というのは少ないものだ。ならば申告しない、つまりは脱税という違法行為にも同じ倫理観を持って然るべきだろう。昼食時に英が言っていた言葉が不意に頭の中に甦る。
──イメージを持たれるほど知られていない。それが最大の問題なんですよ。
一理あると槌田は思う。周知されていれば、法を犯す者はおそらく減るだろう。
では周知されるにはどうしたらと考え始めたところに、ホノルル便の到着のアナウンスが聞こえる。税関ブース内にはそれまでの旅客はもう残っていない。
「次はホノルル便ですね。日本人がほとんどですし、それほどの問題はないと思います」
人気の観光地ハワイは、以前はツアーが多かったが近年個人旅行が増えていること。一年中旅客は多いが、夏休み直前の平日の夜着便はシニア客が多いことなどの特徴を英が説明してくれる。
「家族連れは圧倒的に土曜か日曜着ですね」
子供の学校や親の勤務の都合上、そうなるのは想像に難くない。
「あれ、あの女性」
英の視線の先に目をやると、ベルトコンベアーの前でスーツケースがくるのを待っているTシャツにハーフパンツの二十代らしき女性がいた。浮かない顔で右手で左手を握りしめている。その横には同世代のジーンズに白いポロシャツ姿の男性がいた。女性の表情は硬いが、税関として疑わしいと思われるような点は、槌田には見当たらない。しかし英が目を付けた以上、さりげなく目をやって観察する。コンベアーの上を流れてきた、シールの何枚も貼られたスーツケースに女性が手を伸ばした。持ち手に手が触れる前にポロシャツの男が掴んで下ろす。女性は男に何も言わずにスーツケースを手で押して検査ブースに向かいだした。
連れだろうが違おうが、礼の一言くらい言ってもいいはずだ。だが無視した。他人を装おうとしているのなら何かあるのかもしれない。槌田は視線を女性の足下に落として近づいて来るのを待つ。女性は桜田のいる八番ブースへと進んだ。
「近づいてみましょうか」
英に言われて、槌田は八番ブースへと向かう。
桜田の指示に従ってスーツケースを検査台の上に載せた女性は、また右手で左手を握りしめている。
「申告するものはありませんか?」
「ないです」
ぼそりと女性が答える。
「出国前の申請書に指輪が二点とありますが」
桜田の指摘で、女性の右手に明らかに力がこもった。その右手の指に指輪は一つもない。
そういうことかと、槌田はようやく腑に落ちた。
貴金属やブランド品の腕時計などは、出国時に申請しなければならない。海外で購入し、身につけて帰国することで申告を免れようとする者がいるからだ。
英はコンベアーの前にいた段階で、女性が左手を隠すようにしていたのに気づいていたのだ。桜田もまた同じだった。経験者とは言え、二人ともさすがだと槌田は舌を巻く。
申告していないならば、簡単には手を見せないだろう。そう思いきや、女性はすぐに「はい」と左手を差し出した。左薬指に銀色の指輪が二つ重ねてはめられている。一つにはダイヤモンドが一石付いていた。婚約指輪と結婚指輪らしい。指輪は二つだけだ。
読みが外れることもあるよなと考えていると、「レアケースかもしれません」と英の声が聞こえる。
合金メッキの台にジルコニアなどの人造石の安価な指輪をはめて申請して出国し、海外でプラチナ台にダイヤモンドの高価な指輪を購入して身につけて帰国する。数は同じなので発覚しづらい脱税方法なんですと、英が囁くようにして教えてくれる。
「その指輪は」
「こんなものっ!」
桜田の質問を遮って、女性が指輪を外して検査台に投げつけた。金属と金属がぶつかる硬い音が聞こえて、二つの指輪が大きく跳ね飛ぶ。女性はその場に崩れるようにしゃがみ込むと、顔を覆って泣き出した。状況に気づいた検査の順番待ちをする旅客の目が集中する。不測の事態に桜田は反応出来ずに、ただ立ち尽くしていた。