▽▷△超短編!大どんでん返しExcellent▼▶︎▲ 金子玲介「明日地球が無くなるとして」
潮風。水平線。集まって舞う、ウミネコの声。
「もしさ、」心那がうすい唇をひらき「明日地球が無くなるとして、どう?」
「……どう?」ぱさつく髪を耳にかけ「どうって?」問い返す。
「なにする? 帆乃は」子どもっぽい笑みを浮かべ「明日、地球が、無くなるとして」
「今そんな話する?」
「いいじゃん別に、今したって」
「……なんかベタじゃない?」
「いいじゃん別に、ベタでも」
「えー、どうだろ。なにしよ」あごを軽くつまむ。汗で流れた日焼け止めが、指先でぬめり「明日?」
「明日」
「明日って、いつ」
「いつって、え、明日」
「明日の何時」
「……12時?」
「昼の?」
「昼の」
「じゃあもう、あれだね、24時間ない」
「そうなん?」心那が短パンのポケットに手を突っ込み「ちがうわスマホ置いてきたんだった」戻した手を、気まずそうに揺らし「なんで時間わかんの」
「陽の感じで」白すぎる太陽が、少し低い位置から、海面を照らしている。「2時くらいじゃない?」
「すご」心那が笑い「てか暑。2時っていちばん暑いんだっけ」手の甲で、まぶたの汗を拭い「こんな暑いっけ、毎年、夏」足元に置いた、空のペットボトルを見遣り「買っときゃよかった。もう1本ぐらい」
「……ね」
「ポカリとか」
「あーポカリ最高。夏に」遠く広がる海が、ちかちかと瞬いて「てか地球無くなるってなに? どういうあれ?」
「無くなる。もう綺麗さっぱり」
「……膨張した太陽に、地球が飲み込まれるってこと?」
「知らんけど、いいよ、それで」
「みんな死ぬってこと?」
「そう」心那が頷き「みんな死ぬ」
「みんな死ぬのかぁ」丸まった背を、少しだけ伸ばし「みんな死ぬなら別に、このまま過ごすかな」
「え~? そう?」
「うん。だって最後の最後に焦っても、って感じじゃない?」
「まぁ、そうかも?」
「うん」まばゆい照り返しに、目を細め「部活引退したし、トモくんとも別れたし」
「あぁ」
「ちょうど今、わたし、ひと区切りついてるっていうか」波の音が、穏やかに、規則的に響き「心那は? 心那はいろいろあるよね?」
「あー、あたしは、まぁ、そうね、でも、あたしも、かな」心那も目を、糸みたいに細め「やりたいこと、特にないかな。やり切った感は、まぁまぁある」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「いいの? 受験は? 獣医の夢は?」
「別にもういいかなぁ」
「……えー」
「まぁなんかになんなきゃいけないなら、って感じで、無理にこしらえた夢だしね。小4か小5の、道徳の授業かなんかで」
「家族に会いたいとかは? ないの?」
「けさ会ったし、感謝は日々伝えてる」
「食べたいものは? あと行きたいとことか」
「あのホットドッグ美味しかったし、いいかな。行きたいとこは、ここじゃない? ずっと帆乃が、もう10年くらい言ってたよね? 幼稚園の頃から。おばあちゃんちの近くの海、めっちゃ綺麗だから連れてきたい、って。やっと来れて、満足。実際めっちゃ綺麗だし。これ以上は、うん、大丈夫」
「そか」ちいさな相槌を、波の音がさらう。
「だから別に、いいかな。明日地球無くなっても。というか、うん、無くなるんだよ、きっと。明日地球が無くなって、みんな死ぬ。あたしも、帆乃も、あたしたち以外も。そういうことにしようよ。みんな、全員、死ぬ」
「ごめん」絞り出した声が、震える。
「なにが?」心那の声も、震えている気がする。「……謝るのだけやめてくんない?」
「ごめんね、わたしが、沖まで行こうとか言っちゃって。叔父さんのボート、操縦できるとか言っちゃって」
「いいよ別に」心那が首を振り「あたしも行こ行こ~って乗っかっちゃったし。燃料まだあるか、ちゃんと確認すればよかったし」
「よくないよ」
「いいよ。どうせ明日、みんな死ぬんだし」
「よくない」掠れた声が、波間に消える。
前も後ろも、右も左も海で、他の船はどこにも見えない。ウミネコが頭の上を飛び交う。
「あたしは平気だから。気にしないで。あたしはもう、人生満足だから」
潮風が、首すじの汗を冷やす。
明日地球が無くなるとして、多分わたしたちに、明日は来ない。
金子玲介(かねこ・れいすけ)
1993年神奈川県生まれ。慶應義塾大学卒業。「死んだ山田と教室」で第65回メフィスト賞を受賞。2024年5月、同作が単行本化。他の著作に『死んだ石井の大群』『死んだ木村を上演』がある。