『君が手にするはずだった黄金について』小川 哲/著▷「2024年本屋大賞」ノミネート作を担当編集者が全力PR
小川哲は呆れるほど底が知れない
昨年10月に刊行した本作の担当編集者として、数多くの取材に同行した。30社だったか40社だったか、テレビ局にもラジオ局にも出向いて、そこで彼が何を言い、どんな表情で自作を語るのか、ずっと横で観察していた。結論から言おう。小川哲はおそろしく頭がいい。勉強ができるという意味だけではない。自分がどのように見られて、どう行動することが結果に繋がっていくのかを、一流サッカー選手のように常に先読みしながら動いている。
では小川哲にとっての結果とは何か? それは作家として生き残り、自分が満足できる作品を書くこと。一作一作にできるだけ多くの時間をかけたいから、量産するよりも少なく書いて多く売れるほうが効率がいい。だからプロモーションには全面協力する――おそろしくシンプルな理論だ。サイン本を1000冊頼んでも、遠く佐賀の小さな書店でのサイン会をお願いしても、「大丈夫っすよ」と飄々と繰り出し、サンタ帽をかぶってレジで一日店長をやってくれたりする。かといって、何でも引き受けるわけではない。小説と関係のないテレビのコメンテーターなどは永遠に引き受けないであろう。
本作は小川哲という名前の「僕」が、就活をしようにも世間と折り合えない「めんどくさい」大学院生から、やがて小説を書きはじめて山本周五郎賞の候補となるまでに起きた話を、6つの連作短篇小説としてまとめたものである。冒頭の「プロローグ」に出てくるように、新潮社のエントリーシートを取り寄せて、「あなたの人生を円グラフで表現してください」という設問に固まったことも、ラストの「受賞エッセイ」でアメリカのクレジット会社から不正利用疑惑の電話がかかってきたことも実話だという。だから読者はつい、表題作に出てくる「口だけ達者男」の片桐や、「偽物」で偽ロレックスを巻く漫画家も実在するのではないかと勘繰ってしまう。そうなれば小川の術中にはまったも同じであろう。
この小説に出てくる人物は、出来事は本物なのか? 虚か実かをあれこれ疑い出せば、事実ですら怪しくなってくる。東日本大震災の前日に何をしていたかをテーマにした「三月十日」を読めば、人がいかにして記憶を捏造し、そうありたい自分を正史として採用しているのかに気づかされる。小川哲の人生を読んでいるつもりが、いつのまにか読者もまた、虚と実とで織り上げられた己の人生の物語を読んでいることになるのだ。本当に底の知れない作家である。
──新潮社 出版部 前田誠一
2024年本屋大賞ノミネート
『君が手にするはずだった黄金について』
著/小川 哲
新潮社
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