▽▷△超短編!大どんでん返しExcellent▼▶︎▲ 麻加 朋「悪魔さんが来た」

超短編!大どんでん返し

「先生がこれを理奈さんに渡して欲しいと」

 父の葬儀の帰り際、編集者が懇願するように私に差し出したのは、遺作となった本と仕事部屋の鍵だった。私が渋々受け取ると、安堵した様子の編集者から、父はタイトルと表紙のデザインに非常に拘る作家だったと聞かされたが、生前の逸話などに興味はない。

 私は父の本を一冊も読んでいない。父は作家としてデビューするまでに長い年月がかかったという。私が生まれてからも働きもせず作家を夢見て書き続け、我が家は貧しい生活を余儀なくされていた。私が三歳の頃、「悪魔に『家族への愛を捨てたら、売れっ子作家にしてやる』と言われ、契約を交わした」と、父は突然家を出ていったそうだ。それを母から聞かされたのは今から二十年前、私が中学二年のときだった。呆れたことに、母は悪魔と父のやり取りをすんなり受け入れたというのだ。

「深夜、黒ずくめの悪魔さんが訪ねてきて、お父さんと真剣に話し合ったのよ」実際に見たかのようにその話を私に伝える母もどうかしている。その後、確かに父は作家になった。

 本は順調に売れ、母の口座にきちんとお金も入れてくれて、私たちは生活に困ることはなくなった。母とは離婚もしていないし、浮いた話も聞いたことがない。でも家に帰ることはなく、電話の一本もかけてこない。

「一度くらい会いにきてもいいのに」

 中学の卒業式の日、ついポロッと口にした。

「悪魔さんに見つかったら大変でしょ。契約破棄されちゃうわ」と、母は当然のことのようにケロッとしていた。母は一年前に亡くなったが、いつも父の新刊が出る度にいそいそと書店に赴き、買ってきた本を私に見せた。

 デビュー作『本当は、存在しない女』は本棚に三冊ある。映画化された二作目『愛していいかな』、文学賞を受賞した『たよりない男』、その後も父の本は増え続けた。『ちゃんとした計画』『もちろん幸せ』『母さんも女』『ゆめのタワー』『めだかランド』『泣く泣く語りし物語』、母が一番好きだと言っていた『家を出たら別世界』、『許してくれたなら』『ダサい父の変身』『親としての道標』『願いは一番星に』『津田家、お家騒動』『君の幸せ相談室』。母は父が夢を叶えたことを心から喜んでいるようだった。でも私は、悪魔との契約なんて突拍子もない言い訳までして、邪魔になった母と私を捨てた薄情な父を許せない。

 帰宅して喪服のまま、編集者から渡された遺作『六十四文字のラストレター』を手に取る。パラパラと捲っていくと、あとがきの横に「理奈へ」という直筆のサインを見つけた。

【十七冊の作品を書き上げることができて満足だ。私の本なんて、ドミノ倒しにでもしてくれたらいいさ】

 あとがきの文章を読み、無性に腹が立ってきた。何がドミノ倒しよ。ふざけないで。家族を犠牲にしてまで書いた作品に誇りを持ってよ。切り捨てられて淋しい子ども時代を過ごした私のことなど何も考えていない。本当は、ほんの少しでも愛情を示して欲しかった。一度でも「お父さん」と呼んでみたかったのに……。今更願っても、もう永遠に叶わない。父が死んだ哀しみが押し寄せ、またそんな自分が悔しくてたまらない。

「月末までに部屋を明け渡してください」

 不動産会社から連絡がきて、父の仕事部屋を訪れた。扉を開けると室内はすっかり片付いていた。ただ不思議なことに、十七冊の本が床に立てて置かれている。よく見ると、奥から手前に、出版した順番通り、綺麗に整列していた。遺作のあとがきを思い出す。本当にこれでドミノ倒しをやれということ? ご丁寧に一番手前の『六十四文字のラストレター』の前に「↑」と書かれた紙が置かれている。

 ——いいわよ。それが望みならやってあげるわ。

 シンとした部屋の中、整列している本を正面から睨みつけ、ひと思いに、えいっと指で押す。パタパタと本が倒れていった。

 何これ……。目に飛び込んできた光景に息を吞む。父がタイトルと表紙のデザインに拘った訳がわかった。どの本も表紙に書かれたタイトルは縦書きで真ん中に配置されている。本が折り重なりそれぞれのタイトルの頭の四文字が縦一列に繫がった。私はタイトルが紡ぎ出した父の本心を深く受け止めた。

「本当は、愛していたよ りなちゃんともちろん母さんも ゆめのためだから 泣く泣く家を出た 許してください 父親として願いは一つだけ、君の幸せ 六十四文字のラストレター」

 母の「悪魔さんに見つかったら大変」と言った声が蘇る。契約不履行がバレないように綿密に練られた父の企みは、デビュー作から始まっていた。

「お父さん、やるじゃない」

 私も母のように、悪魔さんが来たって信じてみようかな。慎重に床に本を並べる父と、それを天国から応援している母の姿が心に浮かんだ。悪魔さんは地団駄を踏んでいるかもしれないけれど、どうか勘弁してやってね。

 笑いながら涙がこぼれて仕方がなかった。

 


麻加 朋(あさか・とも)
1962年東京都生まれ。2021年「青い雪」で第25回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し翌年デビュー。その他の著書に『ブラックバースデイ』がある。

◎編集者コラム◎ 『ゴースト・ポリス』佐野晶
『君が手にするはずだった黄金について』小川 哲/著▷「2024年本屋大賞」ノミネート作を担当編集者が全力PR