深緑野分さん 『ベルリンは晴れているか』

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本は心の羅針盤
著者近影(写真)
ベルリンは晴れているか
イントロ

第二次世界大戦を主な舞台に据えた『戦場のコックたち』が直木賞及び本屋大賞の候補となり、深緑野分は新しい歴史ミステリの書き手として頭角を現した。最新長編の舞台は終戦直後のドイツ、ベルリンだ。二〇一八年の日本に暮らす作家は何故この物語を書こうとしたのか?

 およそ三年ぶりの長編歴史ミステリとなった本書には、もうひとつの顔がある。ロードノベルだ。

「以前から第二次世界大戦に興味があり、『戦場のコックたち』で連合国側のアメリカを舞台にしたので、今度は枢軸国側を舞台にしたお話を書いてみようと思ったんです。その時にぱっと浮かんだのが、『卵をめぐる祖父の戦争』(デイヴィッド・ベニオフ)という小説でした。お話の中に、ナチス統治下のレニングラードを旅していくパートがあるんですが、時代背景はシリアスなのに道中が結構コミカルなんですよ。ブラックユーモアでシリアスさを茶化すというか、遠い歴史を読者の現実感に馴染ませているんです。そのやり方で、私も自分なりのロードノベルをやってみたいなと思いました」

 旅の舞台には、ヒトラーの自死によってナチスが事実上解体し、連合国四か国の占領統治下にある一九四五年七月のベルリンを選んだ。

「第二次世界大戦のドイツを舞台にした戦中ものは多いんですが、戦後ものはそんなにないんですよね。しかも一九四五年七月は、自分たちは戦争が終わっているけれど、まだ戦争を続行している国があるという、すっきりしない状況にある。戦争が終わっているようで終わっていない、曖昧な空気を持つこの期間に興味を惹かれました」

 主人公は、アメリカ軍の兵員食堂で働く一七歳のドイツ人少女アウグステ・ニッケルだ。ある夜、彼女はソ連のNKVD(内務人民委員部)に呼び出される。戦時中に孤児となった彼女を匿い、命を救った恩人クリストフが、歯磨き粉に含まれた毒で急死したのだ。関係者のひとりとして疑いの目を向けられるも解放された少女は、クリストフの甥に訃報を伝えるため、バーベルスベルクの街を目指す。偶然出会った元俳優で泥棒、お調子者の青年カフカを道連れにして──。

「ロードノベルである以上、風景をすっ飛ばさないよう丁寧に書かなければと思い、当時の資料に当たりました。取材旅行でベルリンへ行って、ガイドさんとともに実際に歩いてみた経験も活かされていますね。風景だけではなく、道を歩いている時の足の裏の感触や、匂いなどの描写も大事に書いていきました。身体感覚にシンクロすることで、時代も違うし生まれた国も違うこの女の子に、体ごと共感してもらいたかったんです。食べ物の描写が多めなのは、ただ単に私が食いしん坊だからだと思います(笑)。配給食で作ったいかにも不味そうな料理でも、現代ではまず食べられないものだと思うと興味が湧くんですよ」

 アメリカ軍のジープ、ソ連の将校用車エムカ、地下鉄Uバーン、少年窃盗団お手製(!)の木炭ガス車など、この時代特有の乗り物の数々も面白い。実は、目的地であるバーベルスベルクは出発点から三〇キロほどしか離れていないのだ。うまく乗り継げばすぐ辿り着いてしまえるようにも思えるが、そんな旅路をこの作家が書くはずはない。

「目的地までの道のりに起伏がある方が面白いし、いろいろな人に出会えるのがロードノベルの醍醐味ですよね。"寄り道をしないロードノベル"って、聞いただけでものすごくつまらなそうじゃないですか」

戦中と戦後で変化する「罪」の温度差を描く

 カフカとの道中の掛け合いも魅力的だ。しかし、彼に「善人」と呼ばれるたびに、アウグステの内側には違和感が渦を巻く。彼女は終戦直前にロシア赤軍兵にレイプされ、相手を射殺した過去があった。その記憶が、折にふれて少女を襲う。アウグステは被害者でもあり加害者でもある、この二重性が、物語の通奏低音を成している。

「戦時中にレイプされた女性は実際に数多く存在しました。アウグステも肉体と心を蹂躙されたひとりの人間の判断として、ライフルの引き金を引くという決断をした。その瞬間はそうするしかなかったし、戦争中なので後悔もなかったと思うんです。でも動乱の時代が終わり、落ち着いて自分がやったことを見つめ返した時に、罪の意識が高まってくるんじゃないか。起こった事実はひとつでも、戦中と戦後では考え方が変わってくる。良心を持つ人間だからこそ抱えるこの温度差というか落差は、作品を通して書きたかったことのひとつです」

 目的地までの道のりを、寄り道多めで歩みながら、アウグステは自らの罪について考え続けているのだ。一方、本編の合間には「幕間」と題した章が挿入されている。こちらのパートでは、アウグステが生を受けた一九二八年を皮切りに、ナチス・ドイツ台頭の歴史が記録されていく。両親は反社会分子と認定されて死を余儀なくされ、妹のような存在だったポーランド人少女イーダもまた潜伏先で亡くなった。個人の尊厳が、国家によって蹂躙されていく。

「最初の構想では、この物語で描かれるすべての出来事が終わった状態から、アウグステが過去を振り返る手紙形式をとる予定でした。そのやり方で書いてみたら、一人称で表現すべき身体感覚や心情と、三人称の俯瞰した視点で表現すべき歴史の記述が、うまく混じり合わなかったんですね。だったら分けてしまえと思い、本編は一人称の現在進行形で固めて、幕間は三人称で歴史的背景を語っていく構成に変えました」

 その構成を採用したからこそのサプライズが、終盤で爆発する。アウグステとカフカの旅の足跡がまったく異なる意味を持ち始め、本作が歴史ミステリ──歴史小説と本格ミステリの融合体──であるという事実に改めて気付かされることとなる。

「ところどころに描かれていたヒントに後から気付いて、"そういうことだったのか!"となる感覚が好きですね。結末を知ったうえで最初から読み返すと、物語ががらっと変わって見えてくるというところも、私自身が求めるミステリの醍醐味のひとつなんです」

興味というよりも執着かもしれない

 振り返ってみれば深緑野分は、デビュー作となる短編集『オーブランの少女』から『戦場のコックたち』、そして本作と、ナチスを物語の中で書き継いできた。一九八三年生まれ神奈川県出身の彼女が、この歴史的題材にここまで興味を惹かれるのは何故なのだろう。

「幼稚園から小学校低学年にかけてプロテスタント系の日曜学校に通っていたんですが、そこの牧師さんたちがナチスやユダヤ人のホロコーストについて熱心に話をしてくれたんです。『アンネの日記』を初めて読んだのも、かなり幼い頃でした。子供心にとても怖かったものが、大きくなってから興味の対象になることってありますよね。興味というより、もはや執着なのかもしれない。作家になる前からずっと、ナチスやホロコースト関連の本を読んだり、映画を観たりということを続けてきたんです」

 いつか小説の題材にしよう、という思惑もなかった。人生をかけて、ただただ知りたかった。学びたかったのだ。

「ナチスは民主主義の選挙によって選ばれた体制でした。自分たちが選んでしまった体制に翻弄され、最悪の悲劇が生まれることって、いつの時代でもどの国でも起こりうることです。それに警鐘を鳴らしたいと思う人々が世界中にいるからこそ、映画でも小説でも、ナチスを題材にした新しい作品が今も数多く作られている。そうした世界的な流れは、今回の作品を書くうえで少なからず意識していました」

 執筆中忘れないようにしていたのは、「誰もが悪に染まりうる」という可能性だった。と同時に、「絶対的な正義のヒーローは存在しない」という現実感だった。

「それらをアウグステ自身にちゃんと認めさせたうえで、"あなたは最終的に何を選択するんですか?"ということを書きたかったし、読者にも彼女の立場になって考えてみて欲しかったんです」

 小説の力はそれほど信じていない、と深緑は言う。

「たった一冊の本を読んだだけで、人間は変わらないと思っています。ただ、何かアクシデントに直面した時に、ふと昔読んだ一文や、主人公が選んだ決断が頭をよぎるかもしれない。そんな時に自分の本が、間違った方向に向かわないための方位磁石というか、羅針盤のような存在であれたらなと思うんです」

著者名(読みがな付き)
深緑野分(ふかみどり・のわき)
著者プロフィール

1983年神奈川県生まれ。2010年「オーブランの少女」が第7回ミステリーズ! 新人賞で佳作に入選し、13年に同作を含む短編集『オーブランの少女』で小説家としてデビュー。他の著書に、直木賞の候補にもなった『戦場のコ ックたち』と『分かれ道ノストラダムス』がある。17年には、第66回神奈川文化賞未来賞を受賞。

〈「STORY BOX」2018年12月号掲載〉