一本木 透『アダムとイヴの選択』

二人を裁く「法廷」へご案内
自分だけが知る「罪」を抱える人は、人生の終焉に、自らをどう裁くのか──。
本書は、ある男女二人の「裁き」の物語です。
以下、ここでは、その世界観を「架空の法廷」に置き換えて紹介します。
小説内の登場人物二人が「被告人」です。
ただしこの裁判は、検察官も弁護人も裁判官も、すべて「自分」です。
つまり、自身の罪悪感が創り出した「観念の法廷」です。
傍聴席には、二人の孫である新聞記者・翔太(小説内の語り部)が座っています。
裁判長が開廷を宣言すると、イチジクの葉で前を隠した祖父母が出廷します。
検察官が「起訴状」を朗読したあと、「罪状認否」で二人は罪を全面的に認めます。
彼らは昭和初期の群馬で育ち、青春期に太平洋戦争を体験し、終戦を迎えました。
戦争中に不時着した南方の無人島、終戦直後の焼け野原という極限状態……。
そこで、二人はどんな罪を背負ったのか──。
裁判が進むにつれて、孫の翔太が知るのは、祖父母がともに、
わずかな「時間の一点」で選択した行動を〝生き恥〟として、
生涯にわたり悔い続けてきたことでした。
取り返しのつかない過去、時間という残酷な不可逆性。
それは、だれもが背負う「生きる」試練と宿命だと思うのです。
(その「時間の一点」がどんな場面だったのか、ぜひ物語の中で確かめて下さい)
* * *
「救いのない物語」が「人間を否定する文学」とは、私は考えていません。
むしろ、自身の醜い生き様に向き合い、嫌悪し、もがき苦しむ姿こそが、
他の動物にはない人間らしさの証だとも思うのです。
羞恥心のない動物は陰部(恥部)を隠しません。
人間は、自分の姿を客観視し、深く思念し、後悔もします。
「恥」は自尊心の裏返しでもあるはずです。
誰にも裁かれ得ない、絶対の孤独の中にあっても
封印できた記憶に、あえて目をそむけず〝生き恥〟を生きる。
償いようのない過去に執着し、責め苦を自ら背負う。
このエッセイで喩えた「脳内裁判」のように、
対立する自己をしっかり持った自我こそが、
人間であるゆえの最後の「救い」であり、形を変えた「希望」と思うのです。
私は新聞記者時代「人間を信じたい」という動機から戦争を取材してきました。
(本書の「あとがき」に、その経緯を綴っています)
戦中・終戦直後という極限下に生きた人々がいます。
間違った選択をしたとしても、自分を許せずにいる姿に、
どこか信じたくなる誠実さや愛おしさを見出せないでしょうか。
それは決して、不遇な時代に生まれた人たちへの「憐れみ」ではありません。
いつの時代であろうと、肉体を生まれ持った者として、
みじめな〝生〟から逃れ得ないことを知るゆえの、切なくも哀しい「共感」です。
* * *
本書の表紙は、アンリ・ルソーの名画「エデンの園のエヴァ」(ポーラ美術館収蔵)です。
装幀デザイナーさんに見つけて頂いたこの絵は、物語の世界観と絶妙に一致しています。
原初の楽園で花を手折るエヴァ(イヴ)は、まだ「罪」を知る前の無垢な姿にみえます。
そこから、どのようにして〝生き恥〟を背負うことになったのか。
物語は、翔太が祖母・ヨネの「終の棲家」である
特別養護老人ホームを訪ねる場面から始まります。
この本の扉は、彼の祖父母の人生を裁く「法廷の扉」です。
ぜひ読者の皆さんも、傍聴席の翔太の隣に座って下さい。
彼の祖父母がどんな罪を犯し、なぜ自身を断罪し続けたのか──。
それは「戦争」に起因する罪なのか、「人間」であるゆえの罪なのか。
答えをみつけて頂ければと思います。
一本木 透(いっぽんぎ・とおる)
東京都生まれ。早稲田大学卒業。元朝日新聞記者。『だから殺せなかった』で第27回鮎川哲也賞優秀賞を受賞し19年1月デビュー。同作はWOWOWで連続ドラマ化された。その他の著書に、『あなたに心はありますか?』『七人の記者』がある。




