窪 美澄『朱より赤く 高岡智照尼の生涯』

窪 美澄『朱より赤く 高岡智照尼の生涯』

鮮烈な人生を生きた彼女のその先にあるもの


 智照尼の人生を描いてみませんか。担当編集者さんからそう言われたのは、もう何年前になるのだろう。小指を切り落とした芸妓さん、といった程度の知識しかなかったが、資料一式を受け取ったその日の夜(資料を深く読み込んだわけではないのに)、自分の小指を切り落とす夢を見て、あぁ、これは逃げられない、と思ってしまった。小説のテーマやモデルとなる人物にはやはり強力な縁のようなものが作用する。令和の現代に、智照尼という一人の女性の半生を描くということに何か意味があるはずだ、と迷いながらも連載がスタートした。

 貧しさゆえ女性がお金で買われる。そんな出来事はもう現代には存在しないと思いたいけれど、一日三食、満足な食事をとりたいがためにパパ活をしている……といったニュースを見聞きすると、昔も今も、女性をとりまく日本の現状は何も変わっていないのではないかと暗澹たる気持ちになる。

 智照尼も一人の貧しい娘であった。彼女は金で売られ、舞妓、芸妓といった仕事をしながら、多くの男と渡り合い、そうした仕事をする自分に対してのプライドを得ていく。物知り芸妓になるのだと毎日、手帳に知らない言葉を書き付けていく姿、男ではなく、女によって人の温かさを知り、自立していこうとする姿には、自分の娘がそうしているようで、書きながら胸の奥が熱くなった。最後には髪を落とし、それを自ら選んだ道、とする彼女だが、時代が違えば、彼女の前にはいくつもの別の道があったはずだ。彼女が選べなかった道の先に、私たちの生がある。 

 大海の波に翻弄される小舟のような人生を、いじわるな神様に割り振られたとき、私たちはどんなふうに生きていけばいいのか。智照尼の半生を辿りながら常に考えていたことだ。どんなにそれが世間から後ろ指を指されるようなことであっても、ただ生きて、生きて、生き抜くことしか、策はないのではないか。諦念、といった感情からもはるか遠く、ただ生きてそこにある。人間ができることは、それだけなのではないか。書き続けていつかそう思うようになった。

 智照尼という女性が日本にいた。この本を読んでいただき、ただ、それだけを心のどこかに記憶していただければ。私にとってこれほどうれしいことはない。

 


窪 美澄(くぼ・みすみ)
1965年東京都生まれ。2009年「ミクマリ」でR−18文学賞を受賞しデビュー。11年『ふがいない僕は空を見た』で山本周五郎賞、12年『晴天の迷いクジラ』で山田風太郎賞、19年『トリニティ』で織田作之助賞受賞。

【好評発売中】

朱より赤く 高岡智照尼の生涯

『朱より赤く 高岡智照尼の生涯』
著/窪 美澄

採れたて本!【エンタメ#01】
小池真理子『月夜の森の梟』/静かな軽井沢で綴る、直木賞作家夫婦の“小説のよう”なエピソード