辛酸なめ子『煩悩ディスタンス』

辛酸なめ子『煩悩ディスタンス』

自然とのディスタンス


『煩悩ディスタンス』は、コロナ禍のソーシャルディスタンスをきっかけに、人間関係を見直したり、地球への感謝の心を強めたり、といった心の変遷を綴っている本です。様々な娯楽や旅行が途絶えてしまった期間、改めて煩悩にも向き合い、人生は修行、という思いが強まりました。

 人間として成長できたのかはまだわかりませんが、変化の一つは、人間関係に依存しなくなったことかもしれません。コロナ前は、自分が誘われていない集まりやイベントをあとで知って悲しくなったり、年賀状やメールの返事が来ないだけで一喜一憂していたのですが、コロナ禍中の人と会わない期間でいったんリセットされたようです。今は、インスタなどで友人が集まって楽しそうにしている写真を見ても、良かったね、くらいしか思わなくなりました。コロナが発生してしばらくは、友人とのつながりを保っておきたくて、リモート飲み会などにも参加しましたが、そこまで盛り上がらず、そのまま疎遠になってしまいました。自然現象と同じで、人との縁も必要な時に生まれて、役割を終えたら終息していくものなのかもしれません。

 人間関係のかわりに、つながりが深まったかもしれないのは、自然との縁です。周りの友人には、人と疎遠になったのでなんでも ChatGPT に相談するという人もいますが、私の場合は悩んだ時は近所の木に心の中で相談しています。気のせいかもしれませんが、悩みに対する返事が心に届くことがあります。先日は、自慢が多い友人と会って疲れたと、しだれ桜に相談したら、「細かいことを自慢するのは、木が葉っぱの一枚一枚を自慢するようなもの。エネルギーを消耗する行為なので、お疲れさま、と言ってあげたいね。葉っぱより木の全体像を見た方が良い」というメッセージが降りてきました。妄想かもしれませんが、木と交信できた感が。そのあと、山梨県でしだれ桜を見つけたので、「私の家の近所のしだれ桜を知ってる?」と聞いたところ「あの木は若いからやる気があってがんばってるね」というメッセージが来たような気がしました。木同士は離れていてもネットワークでつながっているのでしょうか。

 脳内の空想かもしれませんが、植物同士のディスタンスは理想かもしれません。遠く離れていて会えなくても、お互いのことを気にかけていて、遠隔でコミュニケーションもできる……。人間も自然の一部なので、そのネットワークに加われそうです。コロナ禍が明けても、なかなか友人からの誘いがないので、しばらくは木や花と語り合っていきたいです。

 


辛酸なめ子(しんさん・なめこ)
1974年東京都千代田区生まれ、埼玉県育ち。武蔵野美術大学短期大学部卒業。漫画家、コラムニスト、小説家。著書に『辛酸なめ子の世界恋愛文学全集』『おしゃ修行』『愛すべき音大生の生態』『女子校礼讃』『電車のおじさん』『新・人間関係のルール』『辛酸なめ子、スピ旅に出る』『大人のマナー術』などがある。

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煩悩ディスタンス

『煩悩ディスタンス』
著/辛酸なめ子

◎編集者コラム◎ 『ロング・プレイス、ロング・タイム』ジリアン・マカリスター 訳/梅津かおり
◎編集者コラム◎ 『転がる検事に苔むさず』直島翔