根本宗子『今、出来る、精一杯。』刊行カウントダウンエッセイその2「嘘との相性」
嘘との相性
嘘つきについて考えるのが子供の頃から好きだ。嘘が好きなわけではない。嘘が嫌いだからこそ、嘘つきの思考回路について考えるのが好きなんだと思う。
小学校の時、とにかく嘘つきな子がいた。一人ではない、数人いた。
中でも群を抜いて変な嘘つきだった女の子がいた。
わたしは小中高と女子校に通っていたので、共学の雰囲気がわからないのだが、多分共学より女子校や男子校の方がくだらない嘘つきが多く育つ気がしている。
あくまでわたしの勝手な分析結果だが理由はきちんとあって、「比べる対象に逃げ場がない」ということだ。学校というのは本当に特殊な場所で、たまたま同じ年に生まれた子達が一クラスに集められている。「同じ」がきっかけで集められているため、「差」も明確にわかってしまう。身長順に並べられたり、成績順にクラスが決まったり。共学の場合そこに「異性」という違いが用意されているので、「比べられたくない!」となった時の逃げ場が多少ある気がする。そのためくだらぬ見栄を張らずに済む瞬間もあると思う。けれど、女子校や男子校の場合その逃げ場がないのだ。そのため何かしらの見栄を張らなくてはいられない瞬間があり、それが嘘につながることが多い気が私はしている。
わたしの同級生には「犬を飼っている」という嘘をつき続けている子がいた。
その程度か?とお思いだろう。そう、わたしの言っている嘘つきとはつかなくて良い嘘をつく嘘つきのことだ。
ある日、犬を飼っている子が犬トークを繰り広げていたら、ナチュラルにその子も自分の飼い犬の話を始めた。彼女が犬を飼っていることはこの日初めて知ったが、もちろん全員が何の疑いも持たずにその子の飼い犬の話を聞いていた。しばらくしてグループの一人が「〇〇ちゃんの家の犬は何犬??」と尋ねたところ、彼女は衝撃の言葉を放った。
「あーなんて言う犬だっけなー?なんかね、すっごい珍しい犬種で日本に一匹しかいないやつなの」
嘘がバレる瞬間というのはあっけなくやってくる。何故そんな誰が聞いても怪しいと感じるような嘘を平気でペラペラと喋れてしまうのだろう、と子供ながらに怖くなった。つく必要のない嘘をついていることが何より怖かった。そしてその嘘がバレているのにずっと飼っていない犬の話をここから何年も続けることになった少女を見るたびなんとも言えぬ気持ちになった。
大人になった今この件を自分の書いた文章で振り返ってみると、「犬を飼いたい子供の可愛い見栄じゃないか」とも思えるのだが、やっぱりつく必要がない嘘をつく子供が怖い。人を騙せる、と思っている子供の感覚が怖いと感じているのだと思う。
子供の頃、平気で嘘がつけるようになってしまうとまあまあの確率で大人になってもその癖が治らないように思うからだ。そしてその得体の知れない感覚の持ち主のことを考えて物語を書く作業は楽しいので、わたしの物語にはたびたびどうでもいい嘘をつく人、が出てくる。
先日、とあるラジオ番組で「根本さんは親友や恋人からの嘘を許せます?」と聞かれた。何だよその質問って話なのだが、嘘についての質問を受けた際わたしの答えは決まっている。
「死ぬまで嘘をつき通して、絶対にボロが出ない自信と根性があるならいい。嘘だと気が付くことがなければそれはもうわたしにとっては本当になるので」
何でも誤解を生む世の中なのできちんと説明するが、絶対にバレない嘘などわたしはこの世にはないと思っている。そのリスクを背負ってもつき通す根性があるならつけばいいと思う。でもわたし自身はそんな根性もないし、バレた時の面倒くささや相手をがっかりさせる気持ちを考えると正直に生きた方が楽なので自分は嘘相性が悪いと思っている。もちろん子供の頃、自分だって親や先生に嘘をついたことはある。でも思い返してもどれもすぐ謝った方がよかったなと思うことばかりで大人になるにつれ、このような考え方になった。
嘘とはその辺りのことが全く気にならいない人間が大人になっても使うものなのだろう。
このようなことを日頃わたしは一人悶々と考えているのだが、最近とんでもない根性の嘘つきのドキュメンタリーを見て唸り、嘘に対する考え方がまた一つ自分の中に追加された。『Tinder詐欺師:恋愛は大金を生む』というNetflixのドキュメンタリーに出てくる、とんでもねー根性で嘘をついて10億近いお金を女たちから騙しとって行く恋愛詐欺師の男が、もうあっぱれすぎて嫌悪感を通り越し笑ってしまった。もちろん自分が被害にあっていないから呑気にしていられるのだが、「かっこよく見られたい、モテたい、見栄を張りたい」の思いで人間がつく嘘の最大級を目の当たりにした。見栄っ張りは羞恥心が一番苦手なはずなのに、それすらも超越したとんでもないモンスターの実話だった。
同時に嘘つきの根性がある人は、その根性を別のことに使えば物凄い人間になる可能性を秘めているし、もっと世の中平和になるのではないか、と思った。荒地に花咲かせるくらいの能力出せるんじゃないのか。
是非ドキュメンタリー、観て欲しい。笑っちゃうから。ここまで書いたわたしの嘘についての考察などどうでも良くなることだと思います。
わたしは嘘をつかったエンターテインメントは好きだし、センスよく嘘と付き合って行きたい。
物語は「嘘」なので、いなくなってしまった人だっているように描くことだってできる。幕が下りるまでは夢の中を生きることが出来る。
現実はそうではない。日々リアルを突きつけられる現実なら、わたしは正直に生きていたい。
(つづく)
根本宗子(ねもと・しゅうこ)
1989年生、東京都出身。19歳で月刊「根本宗子」を旗揚げ。以降すべての作品の作・演出を務める。近年の演劇の作品として 2018年『愛犬ポリーの死、そして家族の話』、2019年『クラッシャー女中』、2020年『もっとも大いなる愛へ』などがある。本書が初の小説となる。
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