「推してけ! 推してけ!」第62回 ◆『犯罪前夜』(吉川英梨・著)

「推してけ! 推してけ!」第62回 ◆『犯罪前夜』(吉川英梨・著)

評者=吉田伸子 
(書評家)

ヘビーなテーマの決着に灯す、希望の灯り


 うわっ、ここに着地するのか! いや、もうね、すごいことをやってのけてるんですよ、本書は。400ページ強の大作だが、読み始めるとあっという間、時間を忘れて読者をのめり込ませてしまうストーリーテリングの見事さたるや。

 序章は、「三十二年の人生の中で一度だけ」、人に向かって「死ね」と暴言を吐いたことを後悔する男の場面で始まる。彼の周りにあるのは、射殺死体。黒ずくめのゴムチューブ軍団。そのうちの一人に向かって男は言う。「お前、岸本なみひらだろ」と。

 え? 何が起こっているんだ? という読者の困惑はそのままに、第一部「大阪湾観光帆船シージャック事件」が始まる。冒頭で描かれるのは、大阪・新世界にあるスナック「旧巴里」での一コマだ。大阪府警本部捜査一課の高城は、海保勤務と名乗る岸本と出会う。だが、岸本が口にした「泉州に来てもう十年」という言葉に、高城は違和感を抱く。「あいつニセ海保やで」と。「海保は一、二年で転勤が普通やのに十年も同じところに勤めるわけない」と。

 読者が、岸本って、序章の、あの? と思う間もなく、高城のスマホが震え、帝塚山、西成で起きた建造物侵入事件に、高城は駆り出される。もう一歩のところで犯人を取り逃した高城は、一旦は所轄の西成署に向かう。そこで、犯人たちが逃走に使ったハイエースが乗り捨てられているとの一報を受け、現場に向かい、犯人たちが渡船で逃げた可能性があると気づく。その後、天保山客船ターミナルにあるトラックの荷台から運転手の遺体が発見される。

「どういうこっちゃ。なんて一日や」という高城の思いは、そのまま読者の思いでもある。一体、何が起こっているのか。高城は水上警察署へ向かう。府警の警備艇で、航路を大きく外れている観光遊覧帆船カティ・サーク号に接近したところ、船尾甲板にいる、上半身にタトゥーを入れた金髪坊主の男から、いきなり拳銃で撃たれてしまう。

 第一部が始まってからここまで、ぐいぐいと物語に引っ張られてしまうのだが、そこから岸本が海保は海保でも、その活動や実績が表に現れることのない特殊部隊に所属していることが明かされ、シージャックされたカティ・サーク号の岸本ら海保主導による制圧まで、体感的にはほんの一息。

 本来なら、この第一部だけで、一冊の物語になり得るのでは、と思うほど。だが、本書はさらに次へと、第二部「加害者家族」へと進む。シージャック犯の一味と目される男が、海上保安官・森下浩平の息子、森下諒だったのだ。諒は事件の中で、岸本に射殺されていた。諒はかつて、海上保安学校で、岸本と同室だった。

 この第二部から第三部「金魚」、そして第四部「灰色の標的」まで、読み進めていくうちに、作者の企みというか、描きたかった物語のスケールの大きさが際立ってくる。諒が襲って来たため引き金をひいてしまった岸本だったが、その後、自責に苛まれる。それは諒の父である浩平も同様だ。何故、息子は犯罪に手を染めたのか。息子を信じたい想いと、重なっていく息子が加害者であるという事実。肚にこたえる内容なのに、重苦しさに傾きすぎないように描いている──浩平と妻との関西人特有のかけあい、等々──ところが絶妙で、だからこそ、読者も「真実」を求めてページを繰る手が止まらなくなる。

 物語の全貌が見える第四部では、冒頭に書いた、ここに辿り着くまでの物語だったのか、と納得すると同時に、作者の筆力に思わず唸ってしまった。どでかい(そしてヘビーな)テーマを扱いながらも、物語の芯に高城と岸本をバディに据えたことで、希望を灯した終章が、じわりと沁みる。

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犯罪前夜

『犯罪前夜』
著/吉川英梨


吉田伸子(よしだ・のぶこ)
1961年青森県生まれ。書評家。「本の雑誌」編集者を経てフリーに。主な著書に、『恋愛のススメ』など。

田口幹人「読書の時間 ─未来読書研究所日記─」第41回
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