吉川トリコ「じぶんごととする」 4. NYで夢を捨てる【ダウンタウン編】

吉川トリコ じぶんごととする 4 NYで夢を捨てる【ダウン・タウン編】

作家・吉川トリコさんが自身の座標を定めてきた、あるいはこれから定めようとするために読んだ本を紹介するエッセイです。


 七月の終わりから十日間ほどニューヨークに行ってきた。ニューヨーク在住のミュージシャン(か)氏が日本に帰省しているあいだ、友人(わ)氏がアパートを借りることになったので、八泊だけ私も間借りすることにしたのだ。

 おそらくニューヨークじゃなかったら誘いに乗ることはなかっただろうが、なんといってもニューヨークである。

 いつかは行きたいと思っていた街だったのだけど、なんやかんやで先延ばしにしているうちに幻想ばかりがふくらんで、『AKIRA』のラストで巨大化した鉄雄のようになっていた感がある。ドラマや映画、小説や漫画、あらゆるジャンルのあらゆるフィクションをとおしてこすりつづけてきたせいで、勝手知ったる見知らぬ街のような特別な思い入れがいつしかできあがっていた。行ったこともないのに「俺の街」気取り。私の心臓を取り出したら、きっと「I ♡ NY」と彫ってあるだろう。

 ニューヨークへ行くというそれだけで、ただの海外旅行とはわけがちがうという意識が働く。「パリやロンドンじゃこうはならないわ、だってニューヨークよ?」といまにもゴシップガールの声(CV. たかはし智秋)が聞こえてきそうだ。ニューヨークのいったいなにがそうさせるのか、実際、編集者の反応もパリやロンドンに行ったときとはわけがちがった。「絶対になにかを吸収してこい。そして書け」圧がいつになく強かったのである。ほらまた、ゴシップガール(CV. たかはし智秋)の声が頭に響きわたる。「だってニューヨークよ? 当然じゃない?」

 なにがなんでも「なにか」を持って帰らねばと私は鼻息も荒く意気込んでいた。エッセイの連載なんて持つものではないなとつくづく思ったものだ。わざわざ高いお金を払ってゆっくりするためにニューヨークまで行ったのに、旅先でつねに目をぎょろつかせ、原稿のネタを探すはめになってしまう。パソコンの類はいっさい持っていかなかったのに、気づけば頭の中でせこせこタイプを打っている。

 すてきなお土産でもいいし、印象的な旅の思い出でもいい。ふくらみきった幻想がぶちこわされ失望に取って代わったとしてもネタにはなる。「作家の視点」からニューヨークはこんな街だとさっとスケッチしてみせるのでもいいだろう。なんでもいいからなにか、ニューヨークからかすめとって、自分のものにしてやるつもりでいた(あーやだやだ)。

 しかし、実際に訪れたニューヨークはそんな私のいやらしくもかわいらしい欲望なんか頭からすっぽりと丸呑みしてしまった。最初のご対面、空港からアパートへ向かうタクシーの中からマンハッタンの高層ビル群を見あげたときの、あの奇妙な感覚はいまもって忘れがたい。おそらくこの先、一生連れていくものだろうという予感がある。

 はじめて見るのによく知っている風景がそこには広がっていた。これまでさまざまな映像作品や写真や絵画、写実的なものからデフォルメされたものまであの手この手で目にしてきたせいで、既視感にまみれた風景。笑っちゃうぐらい圧倒的で、「ほんとうに実在していたんだ」という感動と驚きも同時に感じてはいたのだが、「見たことないのに見たことある」というわけのわからなさのほうが先にきて、なんだかCGのようだと思った。仮想現実の中にプレイヤーの一人としてエントリーされてしまったような、いわく言いがたい不思議な感覚だった。

 そんなつもりじゃなかったのに、旅行者としてクールに通りすぎるだけのつもりだったのに、どうやらニューヨークはそれを許してくれそうになかった。


吉川トリコ(よしかわ・とりこ)

1977年生まれ。2004年「ねむりひめ」で女による女のためのR-18文学賞大賞・読者賞受賞。2021年「流産あるあるすごく言いたい」(エッセイ集『おんなのじかん』所収)で第1回PEPジャーナリズム大賞オピニオン部門受賞。22年『余命一年、男をかう』で第28回島清恋愛文学賞を受賞。著書に『しゃぼん』『グッモーエビアン!』『戦場のガールズライフ』『少女病』『ミドリのミ』『光の庭』『マリー・アントワネットの日記』シリーズ『夢で逢えたら』『流れる星をつかまえに』『あわのまにまに』など多数。
Twitter @bonbontrico


 

◎編集者コラム◎ 『映画ノベライズ ミステリと言う勿れ』豊田美加
週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.111 未来屋書店石巻店 恵比志奈緒さん