【生誕100周年 前・後編の大特集!】J.D.サリンジャーの生涯と代表作

2019年1月1日に、生誕100周年を迎えたJ.D.サリンジャー。『ライ麦畑でつかまえて』が世界中でベストセラーとなるも、隠遁生活を経て、表舞台から姿を消したサリンジャーとはどのような人物だったのでしょうか。2019年1月18日公開の映画『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』特別試写会の模様も合わせてご紹介します。

【前編】

2019年1月1日、J.D.サリンジャーが生誕100周年を迎えました。サリンジャーは、言わずと知れた20世紀の特大ベストセラー小説『ライ麦畑でつかまえて(『The Catcher in the Rye』 )』の作者です。

没後10年近く経過していますが、今も昔も若者を中心にファンを獲得し続けているサリンジャー。実は本人の意志により出版が許されているのは5作品です。また、サリンジャーは人気絶頂の中で表舞台から姿を消した後、テキサスの田舎町で隠遁生活をするようになり、この世を去りました。

その謎に満ちた半生が、2019年1月18日に公開される映画ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャーで描かれます。

今回は、日本の作家たちにも大きな影響を残しているサリンジャーについて、生涯と代表作を紹介します。

 

恋愛、戦争、創作活動……91年にわたるサリンジャーの生涯

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出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4794969082

J.D.サリンジャー(ジェローム・ディヴィット・サリンジャー)は、1919年1月1日、ニューヨークのマンハッタンで誕生。父が貿易会社を営んでいたこともあり、裕福な家庭環境で育ちます。

サリンジャーは、ユダヤ人の父と結婚をきっかけにユダヤ教へ改宗した母のもとで育ちました。当時、アメリカの一部の大学では、ユダヤの人々の入学者数を制限するなど、反ユダヤ主義運動が行われていました。また、上流社会で受け入れられるためには、金や人脈、学歴と同時に非ユダヤ人であることが求められていました。つまり、サリンジャーが上流社会で成功するのは容易なことではなかったのです。上流社会の中心で活躍することは叶わず、また父親だけが純粋なユダヤ人であったために結束の固いユダヤ社会にも入れないサリンジャーは、次第に孤独を感じるようになるのでした。

明確な帰属意識を持てないまま、サリンジャーはヨーロッパに1年ほど滞在、貿易業を父から継ぐために、食肉加工工場の現場を体験します。ヨーロッパから帰国したサリンジャーは、自分の人生を見つめ直した結果、「家業は継がず、作家になる」という夢を抱くのでした。

やがてサリンジャーはコロンビア大学で文学を学びながら、執筆活動を始めます。そこで早くも才能が開花し、雑誌『ストーリー』をはじめ、さまざまな雑誌に作品が掲載されることも少なくありませんでした。わずかではあったものの原稿料を手にしたサリンジャーは、やがて執筆業だけで生計を立てることを目指します。

この頃、サリンジャーはニューヨークに住む著名なアーティストたちが夜な夜な集うナイトクラブ「ストーク・クラブ」に出入りするうち、常連の中でも人気者だったウーナ・オニールと恋人関係になるのでした。

サリンジャーの他にも俳優のオーソン・ウェルズといった数多くの男性とデートを続けていたウーナでしたが、孤独を感じていたサリンジャーにとって、初めての恋は彼に心の安らぎを与えていました。しかし後にウーナはハリウッドの演劇学校で演劇を学んだ際、なんとあのチャーリー・チャップリンと結婚。突如としてウーナとの関係が終わったサリンジャーは、ショックを受けるのでした。

 

サリンジャーが戦場で失ったものと新たな出会い

1942年、アメリカはまさに太平洋戦争の最中でした。恋人を失ったことで半ば自暴自棄にも陥っていたサリンジャーは、アメリカ軍へ入隊。かつてヨーロッパに滞在した際に会得した語学力が認められた彼は、1944年3月に陸軍所属の兵士としてイギリスへ派遣されることが決定します。

その3ヶ月後の6月、サリンジャーは「ノルマンディー上陸作戦」に参加します。作戦は成功し、見事フランスのほぼ全土を解放しますが、戦場は悲惨たるものだったといわれています。それは作戦前に3080名だった兵士の数が、7月時点で1130名となっていることからも十分にうかがえるでしょう。

また、サリンジャーはさまざまな語学に通じていたため、諜報部員として時には現地の人々を尋問することも少なくありませんでした。常に死と隣り合わせの状況で、現地の人々にも危害を加えるうち、サリンジャーは無感覚となっていくのでした。

その一方で、パリを訪れたサリンジャーは新聞特派員としてやってきた作家、アーネスト・ヘミングウェイと出会います。サリンジャーの作品を読んだヘミングウェイは才能を高く評価し、お互いに手紙のやり取りをするほど交流を深めていくのでした。

戦中であっても、サリンジャーの創作へのモチベーションが失われることはありませんでした。常に携帯用タイプライターを持ち歩き、たとえ前線近くで攻撃があったとしても、執筆を諦めなかったとも言われています。

その後も度重なる激戦をくぐりぬけ、終戦を迎えたサリンジャーは、ドイツの病院で神経衰弱と診断されます。療養中にそこで知り合った看護師のシルヴィアと結婚してアメリカに戻るも、結婚生活は長く続きませんでした。サリンジャーは、そこから空白を埋めるかのように執筆生活に専念します。

 

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』成功の背景

戦争が終わり、自分の時間の大半を小説の執筆にあてることができるようになったサリンジャー。一時スランプに陥るも、少しずつ従軍前と同じく短編小説が雑誌に掲載され始めます。1951年には同時に執筆を進めていた長編『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(『ライ麦畑でつかまえて』)が発表されますが、直後は爆発的に売れませんでした。「ニューヨーク・タイムズ」によるベストセラーには選出されていたものの、サリンジャーは「自分の作品よりも素晴らしいものが出れば、忘れられるに違いない」と信じていました。

作品が発表された1950年代のアメリカでは、目標を持てず、喪失感を抱いていた若者が多く、そんな若者を中心に『キャッチャー・イン・ザ・ライ』がだんだんと注目を集め始めます。「自分たちの気持ちを代弁してくれている」という理由から若者のバイブルとなっていきますが、人気の裏側でファンに路上で待ち伏せされるなど、サリンジャーはニューヨークで穏やかな生活を送れなくなったことを嘆くのでした。

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の主人公・ホールデンは、「だれもぼくを知らず、ぼくのほうでもだれも知らないところで、口もきけない、耳も聞こえないふりをして、だれとも無益な馬鹿らしい会話をしないですみ、稼いだ金で森のすぐ近くに小屋を立ててそこで死ぬまで暮らす」ことを理想としますが、サリンジャーはニューハンプシャー州のコーニッシュに土地を買い、そんなホールデンの理想を地でいく生活を送ろうとします。

しかしサリンジャーは、人との交流を断固拒否していたわけではありません。周囲のパーティーにも出席したほか、近くにあったウィンザー高校の生徒たちとは親しくしていました。校内でバスケットボールやフットボールの試合があるときは毎回観戦し、食堂で生徒たちと仲良く歓談することも珍しくありませんでした。しかし、ある日生徒のひとりが「学生新聞のインタビューに出演してほしい」と依頼し、承諾したサリンジャーのインタビューが、地元新聞のスクープとして取り上げられてしまいます。裏切られた気持ちになったサリンジャーは激怒し、家の周りには高い塀をめぐらして人付き合いを断ちます。

その後、サリンジャーはあるパーティーで知り合った女性、クレアと結婚。ふたりの子宝に恵まれた頃は隠遁生活を送り、完全に世間とは距離を置こうとしていました。かつて作品を掲載していた雑誌はなんとしてもインタビューを目論むも、それまでの経緯や知人による話で紙面を埋めるしかありませんでした。そして1965年に発表した短編『ハプワース16、1924』を最後に完全に作家業から引退。穏やかな晩年を過ごした後、2010年1月27日にサリンジャーは老衰のためこの世を去るのでした。

 

読んでおきたい、サリンジャーの代表作

サリンジャーが91年の生涯の中で執筆した作品で、私たちが現在、手に取ることができるのは、『ライ麦畑でつかまえて』、『ナイン・ストーリーズ』、『フラニーとズーイ』、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア-序章-』、『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年』のわずか5作品です。感傷的な少年の心を生き生きと描いた繊細さ、ユーモアあふれる作風などが味わえる代表的な作品を追ってみましょう。
 

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』

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出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4560090009

サリンジャー唯一の長編であり、世界中でいまだに読み継がれている超名作です。邦訳されたタイトルは、『ライ麦畑でつかまえて』ですが、イタリアでは「男の人生」、フランスでは「心の捕らえ人」、オランダでは「思春期」と、文化や言語により各国での翻訳はさまざまです。

主人公、ホールデン・コールフィールドは16歳の男子高校生。学校の成績が振るわなかったことを理由に高校から退学処分を言い渡され、ルームメイトのストラドレーターとも喧嘩したホールデンは、クリスマス休暇前の土曜の夜に突如寮を飛び出してしまいます。

生まれ故郷のニューヨークを訪れたホールデンは、かつてお世話になった先生やガールフレンドに再会するも、皮肉を言っては喧嘩に発展します。ニューヨークで怪しげなホテルに宿泊し、娼婦を呼ぶも心が満たされなかったホールデンはたったひとりの大切な妹、フィービーと会おうと考えるのでした。

「僕が何になりたいかってことだけどさ」と僕は言った。「いったいどんなものになりたがっていると思う? もちろん僕にクソかミソかみたいな選択ができればってことだけどさ」
「なあに? 汚い言葉は使わないでって言ったよね」
「あの唄は知ってるだろう。『誰かさんが誰かさんをライ麦畑でつかまえたら』っていうやつ。」

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』より

ホールデンは、16歳という大人でも子供でもない微妙な年齢です。インチキなホールデンの乱暴な言葉遣いや態度をカリフォルニア州の教育委員会が問題視し、作品が学校や図書館から追放されることもありましたが、ホールデンに共感し、支持した若者たちは今も尽きません。大人たちに閉口し、「何になりたいのか、何がしたいのかわからない」と自意識に悩まされる彼の姿は、かつての自分と重ね合わせて読めるでしょう。
 

『フラニーとゾーイー』

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1955年に発表した短編『フラニー』、1957年に発表した短編『ゾーイー』の2編をひとつにまとめた作品『フラニーとゾーイー』。その後の作品にも共通して登場する一家、グラース家の末っ子で病的なまでに鋭敏になっているフラニーと、傷心の彼女に寄り添い、説得を試みる兄のゾーイーの物語です。日本ではタイトルを『フラニーとズーイ』と改めた村上春樹による新訳も話題となりました。

週末をボーイフレンドのレーンを過ごす予定だったフラニーは、レストランで彼と会話するうちにスノッブ(知識をひけらかす人の蔑称)的な振る舞いに腹を立て口論となってしまいます。

その数日後、「相談に乗ってあげてほしい」と母から伝えられた兄のゾーイーにフラニーは話を聞いてもらうことになるのでした。

「まずだいいちに、自分自身を厳しく責めるかわりに他人やらまわりのものごとにあたりまくるのは正しくないことだ。しかし僕らは二人ともそういう傾向を持っている。それと似たことを、僕はテレビ業界に向かってやっている。間違ったことだとわかっているんだが、どうしてもやめられない。それが僕らなんだ。僕はそのことをずっと君に言い続けている。その話になると、どうしてそんなにわかりが悪いんだ?」
「何もその話についてわかりが悪いわけじゃない。ただあなたが言ってるのはずっと――」
「それが僕らなんだ」とズーイは相手を遮るように繰り返した。「僕らはフリークだ。まさに畸形人間なんだよ。あのろくでもない二人組が早いうちから僕らを取り込み、フリーク的な規範をせっせと詰め込み、僕らをフリークに変えてしまった。それだけのことなんだ。僕らはいわば見世物の刺青女であり、それこそ死ぬまで、一瞬の平穏を楽しむこともできないんだ。ほかの全員が同じように刺青を入れるまではね」。ずいぶん陰鬱な顔で彼は葉巻を口にくわえ、一服しようとした。しかし火は消えていた。

『フラニーとズーイ』より

エゴが充満した世界に心を傷めるフラニーに対し、時折厳しい面を見せながら自分自身の言葉で妹を救おうと試みるゾーイー。会話を軸に、ふたりの心の動きにそっと寄り添うサリンジャーの思いが垣間見える作品です。

 

日本でも感じられるサリンジャーの影響

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日本国内でも、さまざまな創作物においてサリンジャーの影響が見られます。

村上春樹は、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』や『フラニーとゾーイー』の翻訳を手掛けていますが、翻訳家の柴田元幸との対談が収められた『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』にてもともとこう述べていました。

『フラニーとズーイ』の関西語訳をやってみたいというのは、前々からちらちらと考えています。

『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』より

この11年後に村上春樹は本当に『フラニーとズーイ』の翻訳を標準語で行うこととなります。しかし、川上未映子はこの作品を関西弁で一部翻訳、『フラニーとゾーイーやねん』として発表しました。

ちゃうねん。張り合うのが怖いんじゃなくて、その反対やねん、わからんかなあ。むしろ、張り合ってしまいそうなんが、怖いねん。それが演劇部辞めた理由やねん。私がすごくみんなに認めてもらいたがる人間で、誉めてもらうんが好きで、ちやほやされるのが好き、そんな人間やったとして、そやからって、それでいいってことにはならんやんか。そこが恥ずかしいねん。

『フラニーとゾーイーやねん』より

また、佐藤友哉はTwitterでサリンジャーを「守護神」と表現しており、第21回メフィスト賞を受賞した『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』を含んだ『鏡家シリーズ』は、『フラニーとズーイー』や短編集『ナイン・ストーリーズ』に登場する「グラース家」をモチーフとしています。

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出典:https://www.shogakukan.co.jp/books/09943008

そして2018年にアニメも放送された吉田秋生の漫画『BANANA FISH』も、サリンジャーの影響を受けた作品を語るうえで外せない作品です。『BANANA FISH』では物語のキーワードとして幾度となく「バナナフィッシュ」という単語が登場しますが、これは短編集『ナイン・ストーリーズ』に収録されている短編『バナナフィッシュにうってつけの日』に由来することが作中で語られています。

「奴らはね、バナナがたくさん入ってる穴のなかに泳いでいくのさ。入ってくときはごく普通の見かけの魚なんだ。けどいったん入ると、もう豚みたいにふるまう。バナナの穴に入って、七十八本バナナを食べたバナナフィッシュを僕は知ってるよ」。彼は浮輪とその乗客を水平線に三十センチ近づけた。「当然ながら、そんなに食べたらものすごく太っちゃって、二度と穴から出られなくなる。ドアを抜けられないのさ」

『バナナフィッシュにうってつけの日』より

サリンジャーは、小説に限らず、漫画にも影響を与えています。オマージュとなる作品の多さは、それほどサリンジャーの描く世界観に惹かれたクリエイターが多いということでもあるのです。

 

孤高の作家、サリンジャー

サリンジャーには、かつて「彼の金庫には未発表の原稿が保管されている」という噂がありました。これは意向によりごく一部の作品しか出版することが許されない一方で、人々が彼の作品を待ち望んでいたことから生まれた噂なのでしょう。

今年生誕100周年を迎えたサリンジャーの生涯が、映画でどのように描かれるのか、楽しみですね。

【参考書籍】
「イエローページ サリンジャー」 田中啓史(著)
「サリンジャーをつかまえて」 イアン・ハミルトン(著)
「サリンジャー 生涯91年の真実」ケネス・スラウェンスキー(著)

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