吉川トリコ「じぶんごととする」 2. 酒とお菓子と女と私

吉川トリコ じぶんごととする 2 酒とお菓子と女と私

作家・吉川トリコさんが自身の座標を定めてきた、あるいはこれから定めようとするために読んだ本を紹介するエッセイです。


「お酒を飲まないソバーキュリアスという選択をとる人たちがいるらしい」

 一年ほど前、目白の韓国料理屋でビールとマッコリとチャミスルをチャンポンしながら「節酒したい」とぼやいていた私に、担当(か)氏は言った。
「はあ? なにそれ」
 先ほどまで「節酒したい」と言っていたにもかかわらず、思わず目をさんかくにすると、
「なにそれですよねえ」
 とやっぱり目をさんかくにして担当(か)氏もうなずいた。さすが、朝昼を抜いて晩酌にそなえる女だけのことはある。

 四十代も半ばを過ぎ、長年の過酒により胃痛はするわ、高血圧もひどいわ、ぶくぶく太り続けるわ、人生折り返しまできているのに一日の半分ぐらいの時間を酒に持っていかれるわでいいことなしのため、飲酒を週三日ぐらいまでにおさめたいと思うようになっていた私は、なんだか気に入らないがとりあえず読んでみるかと、『飲まない生き方 ソバーキュリアス Sober Curious』(ルビー・ウォリントン/著 永井二菜/訳)を手に取ってみた。断酒の指南書というよりは、「酒をやめるとしあわせになる」ということをあの手この手で訴えてくるスピリチュアル寄りの本だったので、スピ耐性つよめの私にはあまり効かなかった。なんとなくこんまりメソッドっぽいかんじもあった。

 そんな折に、友人(わ)氏から町田康さんの『しらふで生きる』で読書会がしたいという申し出があった。

【酒こそ、人生の楽しみ、か?】
【酒やめますか? 人間やめますか?】
【いずれ死ぬのに、節制など卑怯ではないか】
 目次だけ見てもこの調子。ものすごい迫力である。

 ひどい酒飲みだった町田さんがある日突然、これといったきっかけもないまま酒をやめたことについて書いたエッセイなのだけど、これがなかなか一筋縄じゃいかない内容で、脱線に脱線を重ね、「いったいなんの話をしてるんだっけ?」と読みながら何度も混乱するはめになり、この混乱自体がひどい酩酊めいてい状態のようで、酒を飲みながら読んでいると余計にぐらんぐらんしてわけがわからず、自己啓発的でもあり脱資本主義的でもあり仏法のようでもある――と書いているそばから、そのどれもが的外れな気もしてくる(この要約では百分の一も伝わっていないと思うので興味のある方はぜひ読んでみてください)。

しらふで生きる 大酒飲みの決断

『しらふで生きる 大酒飲みの決断』』
町田 康
幻冬舎文庫

 名古屋市金山に TOUTEN BOOKSTORE という小さな独立系書店があるのだが、ちょうどそこの二階のイベントスペースを借りられる権利をクラウドファンディングのリターンで得ていたので、「じゃあそこで読書会をやっちゃおう!」ということになった。いずれ劣らぬ名古屋の酒飲みたちを集め、東京を代表する酒飲みとして担当(か)氏も参加し、酒を一滴も入れずにしらふでの読書会――といっても、真面目に本の話をするというよりは、どのように酒とつきあい、酒と向き合ってきたかをそれぞれ語りあう、断酒会のような趣であった(断酒会というものがどういうものなのか知らないのでイメージだけで語っています)。

 酒のTシャツを着ている者が過半数を占め、とにかく酒が好きだとしきりに訴える者がおり、養命酒がわりにイエーガーマイスター、赤ワインはポリフェノールたっぷりだから体にいいと言い出す者、酒をやめたいと言いながらワインセラーを買った者(これは私)、夜、布団に入ってからその日一滴も酒を飲んでいないことに気づき、どうにも気が収まらずに起きあがってハードリカーをくいっとやる者(これは担当(か)氏)まで、とにかく各々が酒にまつわるエピソードを披露し、そのどうしようもない酒への執着をみんなでけらけら笑い飛ばした。二次会は近くのいいかんじの飲み屋で酒を飲みながらさらに酒の話をした。だれひとりとして「しらふで生きる」気まるでなし。

 そういえば最近年を取ったからか、酒量マウントや酒知識マウントや酒武勇伝マウントを取ってくる人に遭遇する機会がずいぶん減ったなと酒の話をしながら思った。若い時分にそういうことをしたくなる気持ちはわからなくもないが、いい年していつまでもそんなことをやっているぐらいなら、いかに健康に明るくたのしく飲み続けるかという知見を広げたいし広めたい。

 一度、パリから帰る飛行機で隣に座った日本人のマダムにこれをやられたときはほんとうにきつかった。十時間以上あるフライト中、こちらが本を読んでいても映画を観ていてもおかまいなしに話しかけてきて、酒じまんや娘じまんやなんやかんやを聞かされ辟易へきえきした。

「パリではずっと飲んでたの。もう寝ても覚めても飲みっぱなし(笑)。二人で昼からワイン五本よ五本。昼からボルドーなんて飲むもんじゃないってフランス人に𠮟られちゃって」

 武勇伝のようにマダムは語っていたが、「昼からボルドー」のニュアンスが私にはよくわからず、とにかく野蛮な酒の飲み方をしたことをじまんしたいんだろうなということだけ理解し、「二人で半日かけて五本ならまあいけるんじゃないですか。昼からボルドーけっこうなことではないですか、酒なんて好きなときに好きなもんを飲めばいいんですよ」とマウント潰しをしておいた(やなやつ)。

「町田康には飲酒に対するロマンティシズムがない」

『しらふで生きる』の読書会で友人(わ)氏が言っていたことだ。なるほど言われてみたらたしかにそうだし、それは美徳ではないかと思った。飲酒を悪徳だととらえ酒に耽溺たんできする――かつて「無頼」と呼ばれたような人たちの、酒というかそういう自分に酔っているだけのロマンティシズムやナルシシズムとはできれば距離を置きたいものだ。そんなふうにしか酒とつきあえない人は、いますぐにでもしかるべき場所で治療を受けてもらいたい。

 断酒にまではいたらなかったが、『しらふで生きる』を読んでから甘えたことは考えなくなった。「今日はいい刺身があるから休肝日だけど日本酒を飲んでもいいことにしよう」「今日はいいチーズを買ってきたから赤ワインを」「今日はサムギョプサルだからチャミスルを」「シャンパンの気が抜けてしまうといけないから」とかいうような言い訳を作って休肝日に飲むようなこと。【いずれ死ぬのに、節制など卑怯ではないか】という見出しがあらわしているとおり、『しらふで生きる』に書かれているのはやるかやらないか、〇か一〇〇かであって、そういうことではないのだが、結果的に節酒生活に大いに役に立ってしまった。人からもらうことはあっても、自分でシャンパンやスパークリングワインの類を買うこともなくなった。


吉川トリコ(よしかわ・とりこ)

1977年生まれ。2004年「ねむりひめ」で女による女のためのR-18文学賞大賞・読者賞受賞。2021年「流産あるあるすごく言いたい」(エッセイ集『おんなのじかん』所収)で第1回PEPジャーナリズム大賞オピニオン部門受賞。22年『余命一年、男をかう』で第28回島清恋愛文学賞を受賞。著書に『しゃぼん』『グッモーエビアン!』『戦場のガールズライフ』『少女病』『ミドリのミ』『光の庭』『マリー・アントワネットの日記』シリーズ『夢で逢えたら』『流れる星をつかまえに』『あわのまにまに』など多数。
Twitter @bonbontrico


 

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