稲田俊輔『キッチンが呼んでる!』
料理という名の物語
「小説を書いてみませんか?」
と、小学館の加古さんにお誘いを受けた時、僕は反射的にかぶりを振っていました。
「無理ですよ。書き方もわかんないし」
しかし加古さんは、
「本、お好きですよね。小説も読んでらっしゃるでしょう? きっと書けますよ」
と、事も無げにおっしゃいます。
「いや、エッセイならともかく、小説はまた全然違うじゃないですか」
「もちろんエッセイでも大歓迎です。でも、エッセイ書く時でも全て本当のことだけを書いてるわけでもないですよね?」
僕は見透かされたようで少しドキッとしつつうなずきました。
「嘘にはならない程度に、多少は盛ったり、時系列を入れ替えたりは……」
すると加古さんはニヤリと笑って、こんなことを言うではありませんか。
「小説なら嘘書き放題ですよ」
嘘書き放題。なんという甘美な響きでしょう。僕は思わず、
「書きます」
と返答していました。
意気揚々と最初の数話を書き上げました。一人暮らしを始めたばかりの主人公が毎日料理を作って食べる、その様子をひたすら描いたお話です。しかしそこでふと冷静になりました。これを面白いと思うのは書いてる僕自身だけなのではないか、と不安になってきたのです。
しかし連載開始後、幸いなことに少なからぬ人々がそれを「おもしろい」と言ってくれました。いったい何を面白がってくれているんだろう、とやっぱり訝しみつつも、とりあえず自分は楽しいので、せっせと続きを書いていきました。
その頃になると僕は、あの日はすっかり騙されていたのだ、ということに気が付きます。小説こそ嘘が書けない、ということがわかってしまったからです。しかしその時には、登場人物たちは勝手に嘘の無い日々を紡ぎ始めてもいました。
そしてそこには、単に食べることを超えた小さな物語が次々に生まれていったのです。淡々と日々の生活を描いていただけなのに、それはいつしか静かなストーリーの束になっていきました。
料理をすることや食べることは、いつだってそこに何らかの物語を伴っているのだ、ということに、漸く僕は気が付きました。
あるひとつの料理があるとして、それはいつどうやって知ったのか。これまで誰とどういうふうに食べてきたのか。今それを食べようとしているのは何故なのか。食べている時に心に浮かぶものは何なのか。全てが豊穣な物語を秘めています。
それはもしかしたら、人生そのものなのかもしれません。
稲田俊輔(いなだ・しゅんすけ)
料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に従事。2011 年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店、複数の業態の店舗を持つ人気店に。さまざまな角度から食を探求する書き手としても活躍する。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(ともに扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分! 本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ! なのに本格インドカレー』(ともに柴田書店)、『チキンカレーultimate21+の攻略法』(講談社)、『カレー、スープ、煮込み。うまさ格上げ おうちごはん革命 スパイス&ハーブだけで、プロの味に大変身!』(アスコム)、『おいしいもので できている』(リトルモア)がある。
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著/稲田俊輔