「推してけ! 推してけ!」第27回 ◆『キッチンが呼んでる!』(稲田俊輔・著)
評者=平野紗季子
(フードエッセイスト)
聖域としてのキッチンで
私の友人に、スニッカーズにキャラウェイシードをつけて食べる女がいる。なんでもキャラウェイはピーナッツと合うのだという。彼女は受動的な食事をしない。自分の好きな味世界、というものを明確に確立しているから、自炊はもちろん、レディメイドの食べ物が向こうからやってきたらサッと避けるか、合気道のように相手の力を利用して最小限の力でくるんと自分のものにしてしまう。かっこよ……、と私は思う。他者の味に染まることが面白くて毎日がフードコスプレのような私にとって、彼女の食べ方・作り方は憧れだ。彼女が台所に黙々と向かっている。それはまるで、人生を通して台所に自分の王国を築く過程を目撃しているかのよう。王国の主の後ろ姿は、神々しさすらある。
『キッチンが呼んでる!』の主人公もまさにそれだ。憧れだ。きっと30代くらいの同世代で、編集の仕事をしているというから業種も近い。それなのに自炊スキルの熟練度があまりにも違う。もしインスタグラムをやっているなら一方的にフォローをして「この人のごはんを食べてみたい」と思いながらいいねを押し続けるだろう。
物語は、引越し3日目の夜から始まる。彼女は恋人との同棲を解消して一人暮らしを開始したばかりなのだ。その日に食べるのは、スーパーで買ったハムレタスサンドとコンビニで買った肉まんだ。なんだバキバキの既製品じゃないか、と思われるかもしれないが、彼女はそれらをオーブントースターで焼く。それぞれにベストな焼き上がりというものがあって、それを目指して真剣勝負で焼く。電子レンジの「あたため自動」機能には突然敵意を剥き出しにする。なんでも自動機能の「後はボクがうまいことやっとくから」という態度が、「明らかにわたしの主体性を剥奪している」らしい。なかなか過激である。売っているポン酢はあまり好まないから自作する。興味を持った食文化には専門書から入門する。冷や汁が食べたくなれば仕事おわりのヘトヘトでも、無心でアジの身をほぐし、フライパンで味噌を焼く。湯豆腐には冷凍しておいたご飯の小さな塊を軽く解凍してダシに放り込む。湯豆腐を日本酒とやりながら(なかなか悪くない)とひとりごちるあたりから、彼女が心の中で飼い慣らしたはずのリトル池波正太郎が暴走する。この人一体何者なんだよ(笑)。台所を追求するあまり正体不明さを増していく彼女のことが愛おしい。
それらの料理は誰のためでもない自分のために行われる。「わたしはわたしの世界を完璧に作り上げ、今からそれに身を委ねる」。前日から準備したコック・オ・ヴァンをいざ食べる際、彼女は高らかに宣言する。友達を一切招かないわけではない。自分には「もてなし欲」もあるという。それでもこの物語に登場する食べ物の多くが、彼女が彼女の手で彼女のために作った料理だ。料理は愛情表現である、というような、他者への贈与としての料理はほとんど描かれない。それが実に清々しい。
少し自分の話をする。「どんなに疲れていてもおいしいものを食べて一日を終えよう。それが私の魂を守るための唯一の方法だ」。残業続きの会社員時代、家の近所の深夜食堂にすがりついて店主が出してくれた春菊のすり流しを飲んで泣いたとき、私は食べ物だけは手放さないと心に決めた。彼女もきっとそうなのだろう。唯一違うのは、彼女は自力でそれを満たせるところだ。疲れた日こそ愛しい台所に立つ。手を動かすうちに心の霧が晴れていく。「もうおしまいだ」。そんな気分になったって、自分の中にひとつでも聖域があれば、きっと生きていける。彼女にとってのそれは、台所だった。
物語の終盤には元恋人も登場するが、別にクラフトビールのサブスクを登録したばっかりに好みでもないビールを無理矢理飲んでいる男とは復縁しなくていいのでは、とお節介にも思ってしまう。適度な距離で付き合っていけばよくない? 突き放す必要はないけどさ、たまには家で「もてなし欲」も満たしつつ、まあ新しい出会いも探しつつで、とにかく今はさ、思いっきり好き勝手にキッチンを謳歌してよ。だってほら、私のスニッカーズな友達もさ、そうそう、キャラウェイシードつける人。離婚してますますキッチンの輝きに磨きがかかってんだよね。
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『キッチンが呼んでる!』
著/稲田俊輔
平野紗季子(ひらの・さきこ)
1991年福岡県生まれ。小学生から食日記をつけ続け、大学在学中に文筆活動をスタート。雑誌などで多数連載を持つほか、菓子ブランドのディレクター、ラジオ番組のパーソナリティなど、食にまつわるシーンで活躍。著書に『生まれた時からアルデンテ』『私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。』など。
〈「STORY BOX」2022年12月号掲載〉