直島 翔『転がる検事に苔むさず』
自己都合的な仮説「読めれば書ける」は本当か
本の話です。かれこれ三十数年前、東京で学問に身の入らない大学生をしていたころ、図書館で挫折を味わったことがあります。
宮本輝さんの青春小説『星々の悲しみ』が原因といえば原因です。主人公は大阪の下町に暮らす浪人生。図書館に通いつつ、勉強そっちのけで読書にふける日々を過ごしていた。彼はあるとき、トルストイの『復活』を手にとるきれいな女性を見かける。気を引きたくて、見栄を張りたくて、ロシア文学などがぎゅうぎゅうに詰まった書架を指してこんなことを言うのです。
「ことし中に、あそこにある本を全部読むんです」
棚いっぱいの書籍を全部読む、という冒険に刺激され、さっそく近所の図書館に赴き、トルストイ全集を手にとりました。鼻息荒く約三十巻ある全集のぺージをめくり始めたのですが、第一巻のどのあたりまで読んだかは恥ずかしくて言えません。
当時ふと思ったのは、文章を書ける人というのは、書く以前に「読める人」なのではないかという仮説です。自分はまだまだなんだろうなあと思わざるをえず、書くことに恐れをなしたのを思い出します。
四十歳を過ぎた頃だったでしょうか。ふしぎと文豪作品を苦にせず読めるようになりました。それまでに三回ほど挫折していたドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を読み終えたときのことです。学生時分に大した根拠もなく立論した仮説にしたがえば、書けるのではないかと。じつはそれからすぐに着手したわけではなく、十数年、仕事か何かのせいにして挑戦を見送ってきました。
『転がる検事に苔むさず』は初めて世に出す小説になりました。二十一世紀になっても変わらず図書館の棚に住んでいる文豪のみなさまとは、まったく異なる平明な文体で書いた作品です。少しは影響されて格調高くありたいのですが、新聞社に長く勤め、やっとのことで身につけた文章作法ではある。それはそれで文芸の世界にも使い道があるのではと、執筆を試みた次第です。とはいうものの、書くことに恐れをなす心境はあまり変わっていません。
この稿を書くにあたり、『星々の悲しみ』を自宅の書棚に探していると、『三十光年の星たち』という別の宮本作品を見つけてしまった。たまたま「星」つながりです。
何となくめくっていると、老境に入る登場人物の一人が青年に説く場面が目に留まりました。〈(人は)十年で、やっと階段の前に立てる。三十年で階段をのぼり切る。そして、のぼり切ったところから、人生の本当の勝負が始まる〉
はて私は階段をのぼり切っているかどうか。不肖、元文学挫折青年。背筋がぴりっとしました。
直島 翔(なおしま・しょう)
1964年、宮崎市生まれ。立教大学社会学部社会学科卒。新聞社勤務。社会部時代、検察庁など司法を担当。本作『転がる検事に苔むさず』にて作家デビュー。
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著/直島 翔