藤ノ木 優『-196℃のゆりかご』
命を巡る、ある家族の物語
命とは、はたして、いつから命と呼べるのだろうか?
産婦人科医を生業にする中で、その問はいついかなるときでもついて回り、多様な症例を経験すればするほど、答えは見えてくるどころか、より深い闇に紛れていきました。もう十五年以上も産婦人科の医師として働いていますが、いまだに確たる答えが持てません。
しかし、それも無理もないことではあります。
産婦人科医の仕事は、新たな命の誕生に立ち会うだけではなく、本当に多岐にわたるからです。
お腹の子に異常が見つかったとしても、産みたいという母親の治療に寄り添うこともあれば、望まぬ妊娠に対して、なんの異常もない胎児の中絶手術をすることもある。また、妊娠しない方法を指導する一方で、妊娠に至らない女性に対して、昔では考えられなかったような方法で命を作り出そうともする。
同じ背景の患者さんに対しても、あるときは法律を理由に、そしてあるときは相手の強い思いに寄り添いつつ、相反する行為をも厭わない。そんな整合性のない分野が、産婦人科なのです。
自分で選んだ道なので、後悔しているわけではないのですが、長年従事していると、たまに思うことがあるのです。
命を巡るこの悩み、あまり世間様に理解されていないのではないか、と。
おそらく、具体例がそんなに浮かんでこないが故に、ピンとこない人も多いのでしょう。そりゃあ、産婦人科医みたいに、「世間様の非日常が日常です」みたいな奇異な環境にないのだから、当然と言えば当然です。
しかし近年、家族の形や人生観に対する考え方や議論がとても多様化しています。しかも、技術の発達により、「いくら議論したって、そんなのは所詮、机上の空論ですよね?」と無視できる時代でもありません。やろうと思えば、技術力によって多様化に対応出来てしまう。であれば、法的な拘束や解釈の在りようが、とても大事になっていきます。人の権利主張や欲の力は強く、無法地帯と化せば、大変なことになってしまうのは想像に難くありません。
そうなると、文頭に挙げた問は、誰もが考えていかねばならない身近なテーマになると、私は思うのです。
だったらいっそ、今のうちに一緒に考えませんか?
そういうコンセプトで書いたのが、本作です。
本作は、十八年間、義母と娘として過ごしてきたある家族のお話です。そして、その義母が実の母親だったと判明するところから、物語が始まります。
読み終わった後に「本当にこんなことがあるの?」と思われるかもしれませんが、専門家として、リアリティーは徹底的に追求させて頂きました。現実に起こり得る話だし、日本でも、いずれ似たようなケースが報道されるのではないかと確信しています。
ぜひとも、この物語を通して、冒頭の問について考えて頂ければ幸いです。
読んだ後に、一緒に話し合ってみませんか。
命って、はたして、いつから命と呼べるんでしょうか?
藤ノ木 優(ふじのき・ゆう)
産婦人科医・医学博士。2020年、第2回日本おいしい小説大賞に「まぎわのごはん」を投稿。21年、同作を加筆修正し小説家デビュー。その他の著書に『あの日に亡くなるあなたへ』『あしたの名医 伊豆中周産期センター』などがある。
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『-196℃のゆりかご』
著/藤ノ木 優