採れたて本!【国内ミステリ#33】

採れたて本!【国内ミステリ#33】

 大正~昭和初期の人気作家・牧逸馬の小説に「シャンハイされた男」という短篇がある。現代人の感覚からすると奇妙なタイトルだが、「上海される」という動詞は本当に存在した。酒や麻薬で酔わせるなどして船に連れ込んで強制的に水夫にする……といった意味合いだが、「魔都」と呼ばれた当時の上海の、魅力と背中合わせの危険さを示す言葉ではある。

 ひずき優の連作長篇『魔都の婦人記者』は、まさに「魔都」と称されていた1930年代の上海が舞台だ。東アジア随一の港街であるこの地には、イギリスとアメリカを筆頭に数ヶ国が共同で治める共同租界、フランスが支配するフランス租界、ホンキュウと呼ばれる日本人居住区などが存在する。そんな上海に降り立った虹子は、高名な作家にして雑誌「上海モダン」編集長の佐木信濃、記者の不破眞之と知り合う。雑誌記者として働きたいと頼み込んだ虹子を、佐木はお試し期間として1ヶ月だけ雇うことにした。

 出会って早々に不破に見抜かれたように、虹子は心中未遂というスキャンダルの中心人物である。しかし、虹子に言わせると、恋人の染谷英介と駆け落ちしたものの、彼だけ姿を消したのだという。そんな虹子には、駆け落ち前に上海行きの船の切符を買っていたという英介を探す以外にも、10年前に心中事件で死んだとされる父・雲山秀人の汚名をそそぐという目的もあった。

 虹子は佐木から化け込み取材を勧められる。化け込みとは身分を偽った潜入取材のことだ。虹子はフランス租界にあるロシア人の屋敷にメイドとして潜り込むことになったが、そこで殺人事件を目撃する。

 殺人が起きるのが早いと感じた読者も多いだろうが、この小説、立て続けに人が死ぬのが特色だ。そもそも虹子が上海に着いた1日目である冒頭の時点で、背景では物騒な銃撃事件が起きている。東洋のパリと呼ばれる国際都市でありながら、阿片が流通し、犯罪は日常茶飯、各国の謀略も渦巻き、反日感情が高まって日本人への襲撃事件も頻発するようになった。とにかく人の命の価値が軽いのだ。

 そんな場所なのだから、「婦人記者」としての仕事にも当然危険が待ち受けている。虹子は職務をこなしながらいかにして上海に渡った真の目的を果たすのか、佐木や不破はそんな虹子をどうフォローするのか、息もつかせぬサスペンスで最後まで一気に読ませる。イギリス国王エドワード8世との「王冠をかけた恋」で知られるウォリス・シンプソンのエピソードなど、史実の巧みな絡め方にも注目したい。

魔都の婦人記者

『魔都の婦人記者』
ひずき 優
集英社文庫

評者=千街晶之 

ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第156回
連載[担当編集者だけが知っている名作・作家秘話] 第33話 画家・村上豊さんとの付き合い