はらだ有彩『「烈女」の一生』

はらだ有彩『「烈女」の一生』

人生という長い長い時間


「この人の名前は何というんだろう?」と思ったのは、小学生のときだ。愛読していた伝記漫画シリーズの『キュリー夫人』というタイトルを見たとき。その頃、私はもう既に「キュリー」が名字であると知っていた。「夫人」が女性につけられる肩書きであることも知っていた。しかし漫画のタイトルからは、彼女の名前がマリーであることは分からなかった。

 

「この人はどう感じていたんだろう?」と思ったのは、28歳のときだ。フランス北部の町・カレーにある美術館で、オーギュスト・ロダンの展覧会を見たとき。展示されていた彫刻作品のひとつに、彼の共同制作者であるカミーユ・クローデルの小さな頭部と、カレーを救った英雄の大きな手を組み合わせたものがあった。タイトルは「カミーユ・クローデルのマスクとピエール・ド・ヴィッサンの左手」。しかしオーギュストの作品からは、巨大な手に今にも頭を包み込まれそうなカミーユが何を考えていたのかは分からなかった。

 だから私は、彼女たちの人生についてもっと知りたいと思った。今より少し昔、そう遠くない時代に生きていた彼女たちの人生について。

 

『本の窓』での連載中、ピックアップした20人の人物たちを「彼女たち」とまとめることについて私は悩んだ。そう遠くない時代といっても、この100年ほどで大きく認識が進んだこともたくさんある。女性として記録されている人物が、女性として語られたいかどうかはもう誰にも分からない。しかしこの20人の人々を、社会が「女性」と見做し、それゆえに「女性」ならではの人生を期待し、「女性」として取り扱い、結果としてそう取り扱われなければ起こらなかったであろう出来事の中で人生が展開されたことは事実だと判断し、タイトルを『「烈女」の一生』とした。それは社会が「女性」と見做したものに対してどう接してきたかを確認する作業でもあった。

 

 ところで、私は生まれてから今までのライフログをつけている。1995年、〇〇をした。2014年、〇〇をした。2024年、〇〇をした。そんな風にごく短い年表を作っていて、ふと思った。

 人生って長いな。

 今の私の年齢は「日本人女性」の平均寿命よりもずっと若いけれど、その中にも1年があり、1ヶ月があり、1週間があり、1日があり、1時間があり、1秒があった。その全てに、到底この数行に収まらないほどの感情があった。

 だから私は、「彼女たち」がどう感じたのかを知りたいと思った。もちろん勝手に感情を想像してねつ造することはできない。なるべく感情の手がかりが拾えるような資料に注目して書いたが、当然、本人が自分について語る言葉とは越えられない隔たりがあるだろう。それでもときどき、今、私は「彼女たち」に似た感情になっているかもしれない、と思うことがある。「彼女たち」に、あのときどう感じていたのか聞くことはもう絶対にできないけれど、今と地続きの世界で、「彼女たち」が長い長い時間を生きていたことだけは紛れもない事実である。

 


はらだ有彩(はらだ・ありさ)
関西出身。テキスト、イラストレーション、テキスタイルをつくる〝テキストレーター〟。著書に『日本のヤバい女の子』シリーズ(柏書房/角川文庫)、『百女百様 街で見かけた女性たち』(内外出版社)、『女ともだち ガール・ミーツ・ガールから始まる物語』(大和書房)、『ダメじゃないんじゃないんじゃない』(KADOKAWA)。雑誌・ウェブメディアなどでエッセイ・小説を執筆している。

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著/はらだ有彩

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