椹野道流の英国つれづれ 第25回
◆ジーンとジャック、「我が家」に驚嘆する #5
ガチャガチャッ。
通りに面した水色の扉を解錠する音。開けにくい鍵なのに、不思議と慣れた感じです。
次に聞こえるのは、扉を開けるときの、蝶番の軋む音。
バタン、と扉を閉める乾いた音。
それから……。
一段、一段、踏みしめるように、階段を上がってくる足音。
私の、バスケットシューズ履きの軽やかな足音とは違う。
街中でたまにすれ違う、全身キメキメのお姉さんが履いているピンヒールのコツコツした固い音でもなく。
もっと大柄な男の人が、それ自体が重いガッチリした靴を履いているときに立てる、ズシーンと腹に響くような足音です。
ゆっくり、ゆっくり。
一段上がるごとに、足音は大きくなっていきます。
思えば、この怪現象を初めて経験したのは、ここに越してきたその夜のことでした。
言うまでもなく、外扉の鍵が開けられる音で、私は早くも震え上がりました。
だって、それは、決してあってはならないことです。
この家で寝起きするのは、私ひとりだけ。
合鍵を持っているのは大家さんだけのはずだし、その大家さんは高齢女性で、こんな深夜に隣町からわざわざやってくるとは思えません。
この部屋を借りるとき、仲介してくれた不動産業者は、「本当は用心のために鍵を交換してほしいけど、今はお金がない」と打ち明けた私に、実にあけすけにこう言い返してきました。
「大丈夫だよ。前の住人が鍵を持っていたら……って心配してるんだろうけど、この部屋に誰かが住むのは、僕が知る限り12年ぶりだから! しかもさ、失礼でごめんね、でも、こんな部屋を借りようってヤツが、お金を持ってるはずないでしょ。泥棒に入る意味ないよね!」
く、悔しい。ストレートに小馬鹿にされてる!
とはいえ、ぐうの音も出ないド正論です。
実際、今、この部屋に誰かが押し入って金品を出せと凄んだとしても、出せるのは残り数枚となったトラベラーズチェック(昔はよく使われた、海外で使える簡易な小切手です)と、パスポートくらい。
勿論、どちらも大切なものですが、罪を犯してまで手に入れる価値はなさそう。
でも……今、確かに、男性とおぼしき足音が、どんどん階段を上がってこちらに近づいてきているのです。
侵入者と私を隔ててくれるのは、もはや、内扉一枚だけ。
相手が、この扉を開ける鍵を持っているとしたら、もはや打つ手はありません。
逃げるしか……。
兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。