小原 晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第2話

小原晩「はだかのせなかにほっぺたつけて」第2話
ある人の、ある恋の、ある時のこと。

 第2話 
奥さん


 まずはほら魚をちゃちゃっと揚げちゃうわけ。それから、片栗粉のついたこの指を、お魚くさいこの指を、この腰のところについたエプロンでぬぐう、ぬぐうでしょう、そうしたらやっぱりこのエプロンをつけているのはおかしいわけ、だってお魚くさいんですからね、でもこれをね、洗濯機にほうりこんでみなさいよ、お魚くさくなっちゃうわよ、だめよ、だから、どうすべきか、わたくしにはわからない。わからないから目をつぶる。八方塞がりなんてかんたんなお料理みたいなものです。かんたんなお料理といえば、この魚、いい色になりましたから、こめ油から、お箸でとっては、バットにころがす。たくさんの命、いただきます。そう思ったら、うしろめたさが、やってくる。だけれども、そういうものよね、これ以上考えてなにになるっていうの、わたくしひとりが考えたところでなにになるっていうの、命に感謝、それは過程の話であって、結果としてはなにも変わっていないのよね。でも人の生きる道っていうのはそういうふうにできているのかしら、ってこうやって、換気扇のぼうぼういってる下なんかにいると思うわけ。油がわたくしの腕なんかにとぶとね、思うわけ、仕返しとしては物足りないでしょうね、ごめんなさいねって、でもこれだって、本当の意味でわたくし、謝ってることにはなりません。だって揚げましたものね。油で泳がせたんですもの。不毛よね、わたくしの思いって。行動が、伴わないの。きっと永遠に伴わないわ。

 炊飯器からきょうぼうな湯気があばれんぼうにふきだす。するとわたくしは、その匂いを睨みつけるように嗅いでしまう。毎日のことです。毎食のことです。奥さんっていうのはそういうものだっておもうのは、わたくしだけかしら。わたくしだけだとしたら、わたくしという奥さんは、そういうものです、と表せば、間違うことのないことを、ね。とるにたらないの、配慮ができないの、ごめんなさいね。

 午後九時を過ぎると、旦那さんっていうのかな、まあ、わたくしの男っていうのかな、それだと小っ恥ずかしい、そうね、わたくしと暮らす男、が帰ってくるわけ。鍵のまわる、がしゃり、がきこえると、わたくし玄関へ走るわ。そのほうがきっと愛らしいような、気がするの。おかえりなさい、なんて言葉は呪文じみていると思わない? わたくしいつも、おはいりなさい、と言ってるの。許可制ですか、わたくしと暮らす男は毎回そう応えます。それから、ハグをして、つむじの匂いを嗅いで、きっと今日もいろいろなことがあったのよね、そういう目で、男のつむじをギッと見る。さわったりすると怒られるから、さわったつもりで、人差し指で丸を描く。

 そしてわたくしの揚げた魚を、炊き立てのお米と、薄い味噌汁とで、ふたりきり、いっぺんに食べ尽くす。ちいさな、ふたり用の、ダイニングテーブルにて。

 花もない家だけれど、会話もそれほどないけれど、わたくしの日々はこうして彩りというほどのものはないけれど、けれどけれどの、でも、だって、そういうふうに出来上がります。ありふれた悩みにくらくらきている、わたくしという奥さんがここにひとりいます! 叫んでみてもきっと笑われちゃうわね。ありふれている、ただそれだけのせいで。

 わたくしと暮らす男の晩酌に付き合わず、わたくしはお風呂につかります。ゆっくりとはいります。湯船につかれば、やっぱり、こうして、ひとりきり、こころのなかのおしゃべりに爆裂してしまって、つかれていくのか、発散ということになっているのか、わからない、それって眠っているときにみる夢みたい、ときどきへんな夢ってあるじゃない、目を開けたとき、ため息のつきたくなるような類いの。目の覚めているあいだじゅう、からだの内に偏在するのは、退屈。だれもがうらやむ退屈。母もうらやむ退屈。ありふれて然るべき退屈。責められることのない退屈。笑われても笑い返すような退屈。途方もないの。でもね、この身を、わたくしを、たったひとりにまかせてしまう、あずけてしまう、ゆだねてしまう、覆いかぶさられてしまう、それ独自のここちのよさを、わたくしたしかに感じているの。わたくしによるわたくしのための足場などなくたって、まるでへいきな気がしてしまうほどのんきな時もままあるの。

 濡れたからだをふいたら、化粧水やらなんやら塗りまわして、長すぎる髪をいっしょうけんめいに乾かす。パジャマのボタンは上まできちんととめてしかるべきよね。わたくしと暮らす男は、ぼくも、そろそろ、なんて言って、案外かんたんに湯船へむかってゆく。わたくしのあとに湯船に入るときには、からだや頭を洗う前に入ってもいいと思っているようで、案の定、ざぶん、とすぐに聞こえてくる。わたくしは、わたくしと暮らす男が先ほど脱いだジャケットの右ポケット、それから左ポケット、胸ポケット、内のポケットに手を入れて、ぐしゃぐしゃのレシートたち──ぺらぺらの、よわよわしい、なんの効力もなさそうな白い紙──をとりだし、その一枚一枚に書かれた、ところ、じかん、なまえ、ねだん、を頭のなかで音読する。

「ドトール町田駅前店 8時55分 S・ブレンドコーヒー 250円」

「本と文具 久美堂 玉川学園店 10時6分 文具 583円」

「サイゼリヤ町田金井店 12時43分 ほうれん草のソテー 半熟卵のミラノ風ドリア ミートソースボロニア風 ハンバーグステーキ 1350円」

「オーエスドラッグ町田店 15時40分 ホッカイロぬくぬく当番 206円」

「宮越屋珈琲 町田店 17時11分 ケーキセット 1080円」

 わたくしはそのなかの「宮越屋珈琲町田店  17時11分 ケーキセット 1080円」をえらんで、びりびりちぎる。レシートによって音はちがうけれど、これはかるい音がする。ちぎって、ちぎって、親指よりもちいさくなると、なかなかちぎりずらいので、そこからははさみを用いて、切りきざむ。これ以上はもう、だめね、だめよね、そうよ、限界よ、そういうふうになったら、ちりぢりとなった「宮越屋珈琲町田店 17時11分 ケーキセット 1080円」を左の手のひらでふんわりにぎって寝室へ向かい、わたくしのそばがら枕と、わたくしと暮らす男のそばがら枕に「宮越屋珈琲町田店 17時11分 ケーキセット 1080円」を混ぜ入れる。そうしたら、ベッドメイキングをすませて、冬なんかは布団乾燥機をかけて、わたくしは、わたくしという奥さんの、きょうの役目をひとまず終える。

 わたくしと暮らす男と、わたくしが、夢などひとつもみませんように。

 


小原 晩(おばら・ばん)
1996年、東京生まれ。2022年、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。独立系書店を中心に話題を呼び、青山ブックセンター本店では、2022年文芸年間ランキング1位を獲得した。その他著書に、初の商業出版作品として23年9月に『これが生活なのかしらん』を大和書房から刊行。

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