トイアンナの初小説『ハピネスエンディング株式会社』Web限定オリジナルストーリー先行公開!
大学まで、30分はかかる。智也は電車の中で、いつも通りSNSを覗いた。おすすめ欄にフォローしていない人の動画が、ランダムに流れていく。そこに、見知った女の顔があった。IDは @kizunyaaa、きずにゃあ。顔はラメのエフェクトがかかっていて判別しづらいけれど、これって間違いなく、あのとき見た爪楊枝の脚……、
「吉沢絆さんだ」
今夜、模擬葬儀の本番を迎えるはずの、お客様だ。吉沢さんは伸び切った爪で、パキパキと錠剤を開けていく。爪はボロボロと割れて、栄養状態が良くなさそうなことを示していた。敷かれたティッシュペーパーの上へ次々と、錠剤が溜まっていく。吉沢さんは慣れた仕草で、床にこぼれた錠剤をティッシュに戻す。
「40 t いきます」
キャプションと同時に、吉沢さんは錠剤を並べだす。40 t 、t はタブレットだから、40錠か。どんな薬であれ、明らかにオーバードーズだ。続いて、画面は一面のピンクに染まった。桃色の背景には黒い字幕で「だめなのは分かってるけどね……」とだけ浮かぶ。実際に錠剤を飲んでいる部分まで配信してしまうと、自傷行為とみなされてアカウントが消されるからだろう。コメント欄には「やめなよ」「ツラいのわかる」「ODできてるうちはいい。辛いとODも無理になって動けなくなる」と、身勝手な言葉が並ぶ。
智也は動画がアップされた時間を見た。17時間前だ。
昨日かよ!
LINEを開いた。山岸さんを探す。
「山岸さん」
「今日のお客様、薬をオーバードーズしてます」
「動画公開してて」
「時間昨日です」
「どうしましょう」
どうもこうもない。こんなの送ったところで、山岸さんが困るだけだ。これじゃまるで、自分が吉沢絆さんをSNS越しにストーキングしたみたいだ。気持ち悪っ。送信を取り消そうか。いやでも、これ危ないよね。このまま自殺してたらどうする。緊急性が高いか。山岸さんじゃなくて、警察に電話すべき? こういうときの警察窓口ってどこ。智也の気持ちが行ったり来たりするうちに、すぐ既読がついた。
「ありがとう。念のため、現地に精神科医を手配しておくね」
そういう手があるんですね。智也は急にほっとして、長い息を吐く。いつの間にか手は汗で、べっとりと濡れていた。
でも。死んでいたらどうする?
果たして、吉沢絆さんは生きていた。
「よろしくお願いします~」
ただし案の定、遅刻してきた。それでも前回よりマシな、15分遅れ。会場設営の準備を考えると、むしろありがたい遅刻だった。今回は、供花を飾るのに苦労したからだ。
通常の模擬葬儀では、白を中心とした生花で会場を彩る。特にリクエストがなければ、いかにも葬式っぽい菊の祭壇で済ませることも多い。少なくとも、智也が参加してきた式はそうだった。
だが今回は特別だった。フラスタと呼ばれる、風船と生花を組み合わせたディスプレイを連結させた。ピンクと紫に染色されたカーネーションに、バルーンのミックスマッチだ。添えられたラベンダー色の大ぶりなリボンやレースは、ウエディングドレスの後ろ姿を思わせる。さらにその上から、撒かれたムスクの香りがフワフワ漂った。コンクリート打ちっぱなしの会場が、一瞬にしてラウンジやホストクラブのムードに変わる。
これは今日弔われる母親というより、吉沢さんの趣味だろう。どうせ自腹を切るんだから、思い切りやらせてよ。そんな意思を感じずにはいられない。
「わあ!超かわいいんだけど」
そして、ご満足いただけたようだった。花だけでご予算30万円。今日の式は、大掛かりである。
今日初対面となる精神科医は、そっと会場の隅に腰掛けていた。何度も依頼した経歴があるからだろうか、表情に動揺は見られない。会場に入るとき、智也はそっとお辞儀をした。相手も静かに礼で返す。寡黙な人だった。
智也は会場の後部座席へ回る。新入りである智也の役割は、スライドの操作だけでいい。事前面談でも、ドリンクを出してからは席を離れた。だから智也にとって、吉沢絆の物語を聞くのは、これが初めてになる。
「本日は公私ご多忙のなか、ご来賓のご臨席を賜り、厚くお礼申し上げます」
山岸さんが滔々と開会の辞を述べた。模擬葬儀は希望がない限り、無宗教風で進む。だから読経も祈りもない。この次は、「故人」であるはずの、母親の思い出動画を流す。動画は吉沢絆さんの自主制作による、持ち込み作品だった。
絆さんの母親である吉沢亜由美さんは、少し気弱そうな人だった。写真の眉毛が、常に困っている。ムービーに登場する笑顔は写真が多いのに、全部「ごめんなさいね」と言っているようだ。まるで、自分の存在が罪であるかのように、はにかんだ八重歯が下唇に刺さっていた。集合写真が多いから、友達が多いのだろう。けれど写る場所は、いつも真ん中より少し左。センターはお譲りしますよ、私はそこにふさわしくないので。そう自己主張している位置取りだった。
だが、亜由美さんは決して背景に埋没しない。もし亜由美さんが写真そのものを嫌いなら、一番後ろへ行くはずだ。それが、必ず前列の左脇。もし生まれ変われたら。もっと可愛かったら。もっと面白い人間だったら。本当は人生のセンターに立ちたい。そういう、うっすらとした承認欲求を感じて、智也は目を細める。
そして。集合写真を一通り流してから、ムービーは終わってしまった。
「待てよ」
智也は口の中で小さくつぶやいてしまった。娘であるはずの吉沢絆さんとのショットがひとつもない。何なら、夫との写真すらない。家族写真くらい、入学式や七五三など、いくらでも撮影する機会があるだろうに。あえてムービーに選ばなかったのか? それとも、そういう写真がひとつもない?
「うちのお母さんは、不幸が大好きで、」
マイクを持った絆さんが、喪主として話し始めた。
「とにかく、自分がいかに不幸かを知ってもらいたがるんです。自分はお父さんに愛されてない。娘からも大事にされていない。友達からも悪口を言われてるって。
この前なんて、『友達の米田さんとこなんて、旦那さんが溺愛してくれて、誕生日にエルメスのスカーフをもらったんだって。それに比べてお母さんは普通のケーキだけだし。絆はお祝いの言葉もかけてくれないし。やっぱりお母さんは家にとってお荷物なんだよね。お母さん、そこまでの何かをしたのかなって。お母さんはお母さんなりに結構頑張ってきたんだけど、それでもまだ足りないってこと? これ以上、お父さんと絆に何をしてあげたら満足するの? お母さんなんかいないほうがいいってこと?』って、不機嫌になるたびに言ってくるんです」
きっつ。智也はしびれるような感覚を覚えた。智也の母親は、まあまあ陽気なタイプだ。アイスをおまけしてもらえた、今日は桜が咲き始めていた、そんなことで夜まで浮かれている。子供っぽいなあ、と呆れることはあっても、嫌だと感じたことはない。
それがもし、智也の家に、毎日不機嫌な母親が待ち構えていたらどうだろう。「それって、お母さんがいないほうがいいってこと?」なんていう、「そんなことないよ」としか答えられない問いを投げかけて承認をせびる親がいたら。考えただけで、胃がむかむかする。智也にとって異物でしかなかった「吉沢絆」は、突然解像度を増してきた。
『ハピネスエンディング株式会社』
トイアンナ
トイアンナ
1987年生まれ。慶應義塾大学卒業後、外資メーカーで勤務し、文筆業にて独立。エッセイからノウハウ本、小説まで幅広く執筆している。書籍に『モテたいわけではないのだが ガツガツしない男子のための恋愛入門』『改訂版 確実内定 就職活動が面白いほどうまくいく』など。Twitter @10anj10