トイアンナの初小説『ハピネスエンディング株式会社』Web限定オリジナルストーリー先行公開!

『ハピネスエンディング株式会社』Webオリジナルストーリー

「小学校のころから家に帰らないようにしてて。部活とか学童に行ってました。でもそれも嫌なんですよね。お母さん専業主婦なのに、娘が学童なんて行ってたら虐待だと思われるって。だから門限4時とかにされちゃったんです。友達とも遊べないじゃないですか。途中からやる気無くなっちゃって、学校行くのもだるくなっちゃったんですよ。週2くらいだけ不登校してたんですけど、学校の先生が家に来て、お母さんが泣きながら『それって母親が全部悪いってことですか』ってヒスってたのしか覚えてないです」

 家にずっといる母親が原因で苦しんでいるのに、その家に拘束される。吉沢絆さんには、逃げ場がなかった。

「だから、14歳くらいからなるべく、家に帰らないようにしてます。ホテルに泊まったり、人んち行ったり。ご飯は夜まで繁華街にいると、結構おごってもらえるんで。そんな感じで今は月2かな、くらいしか家には戻らない」

 そこまで憎いなら、家を出てしまえばいいのに。智也は思った。当時は無理だったかもしれないけれど、吉沢絆さんは25歳のはずだ。アルバイトなり、住み込みの勤務先なり見つけられれば、脱出できると思うのだが。

「たまに、今日帰ってこないと死ぬって言われるんですよ」

 智也の心を読んだかのように、吉沢さんが答える。

「本当に死のうとされたこともあって。死ぬ死ぬって言うだけじゃなくて、本当に手首バッサリ切ったり、お酒を飲んで酔っ払っちゃって、顔をお風呂場に突っ込んでたり。そういうときだけ、家に帰ってます」

 帰宅するのは、逆効果なんじゃないか。智也はとっさに思った。「死ぬ」とさえ言えば、娘は家に帰ってくる。そう考えたら、母親にとっては命を盾にしたほうがいい。自分を脅迫材料にすれば、娘は言うことを聞いてくれるのだから。

「もう嫌なんです……。年に2回くらいあるんです。こういうの……。『お母さんはみんなの幸せを願っています。でも役立たずでごめんなさい。家族にも誰にも愛されてないってことですね。私はどうせアタオカですからね。死にますから安心してください。みんなは幸せになってください』みたいな遺書を投稿してからやるから、メッセージ通知もガンガン来て。なんか知らない人からの着信もやばくて。それ私が全部代わりに出て、対応して。でもほっといたら、ほんとに、お母さん死んじゃう。何度か救急車も呼んでるんです。でも救急車呼んじゃったら、付き添いもしなきゃいけないし。それで病院まで行って、入院手続きして、また帰ってみたいな。お父さんはもう見捨ててるから、LINEしても返事こないし……」

 どうやら、父親は別居しているか、激務で家にいない家庭らしい。母親の自分の命を盾にする行動へ疲れ果ててしまったのか。吉沢絆さんが学童へ避難したように、父親もどこかへ逃げたのかもしれない。たったひとりで、いつ死ぬか分からない母親を見る。それはもう、介護といっても差し支えないだろう。

 智也は息をするのも忘れて、話し手を見る。

「いっそ、死んでほしい。次はもう助けたくない。毎回そう思ってて。でも無理なんだよね。何もしなかったら。私が殺したことになっちゃう。そしたら、あの人は死んでも私に会いに来る。枕元に絶対来る。だから無理なんですよ」

 吉沢絆さんが、マイクを握り直した。カタカタと震える手を、もう片方の手で支えている。細い腕があらわになった。腕にはたくさんの細い横線が刻まれている。

「何をしてもだめだ」と信じている人には何を言っても無駄だ。智也は、陸上部時代の大会を思い出した。走り高跳びをやっていた後輩が、1回目の跳躍で大失敗したことがある。バーが派手な音を立てて落ち、いつもなら余裕で跳べる高さに届かなかった。後輩はギクシャクとした早足で帰ってきた。そして、「もうだめです」と何度も繰り返した。大会ルールでは、まだチャンスはあった。それでも後輩は勝てなかった。なぜなら、もう心が敗北していたからだ。

 吉沢絆さんも同じだ。もう心が、母親に負けている。母親が死んでも、自分は解放されないのだと思い込んでいる。自分で自分に呪いをかけてしまっている人には、できることがない。

 どのみち智也には、傍観者でいる以外の選択肢はない。こうして模擬葬儀の現場に同伴できたところで、たかがインターン生だ。何ができる? 智也は吉沢さんを見つめる。もし、彼女と同じクラスにいたら。部活の後輩だったら。多分、できることがあった。児童相談所へ相談したり、先生へ協力を仰いだりして、糸口を探せた。

 でも、現実はそうではない。そうではないんだ。

「だから。こうしてお母さんのお葬式の日がやってきてくれて、良かった。やっと……死んでくれた。これでもう出てこないよね。お願い。生き返ったりしないでね。私、お母さんのお母さんみたいだったでしょ。寝て起きたら、お母さん死んでるかもって思ったらいつも寝れないし、お酒飲んでるとき以外思い出しちゃうし。もう疲れたよ。疲れた。だから、ね、もうこれでいいよね……」

 吉沢さんが、はーっ、と、長いため息をつく。マイクがその音を拾って、部屋いっぱいに拡散した。そのまま、上を向く。派手な供花とは裏腹に、白くてそっけない天井が視界いっぱいに広がっている。けれどそこに、母親の面影はない。

「あー……。自由だ……」

 彼女はマイクを置いた。そして、静かにパイプ椅子へ腰掛けた。

***

「今日使ったお花、持って帰る?」

 山岸さんのお誘いは、猛烈に辞退した。紫に染まった花束と、アルミでピカピカに輝くハート型のバルーン。こんなものを持ち帰ったら、親が気絶する。山岸さんは、僕の家に飾ったんじゃ、ちぐはぐだからなあ……と、ボヤいていた。このセットアップが似合う家の持ち主なんて、めったにいてたまるものか。

 それでも花を簡素なブーケにまとめたものは、吉沢さんにお渡しした。顔色は陶器のように青白くなっていたが、それが紫の花弁にしっくりきた。なるほど、こういう人のためにラベンダーの色はあるのかもしれない。

「これ、動画撮っていいですか?」

 その花も、片付ける前にじっくり30分は使っただろうか。確かに、葬儀場というよりはフォトスポットと呼んだほうがふさわしい装飾だったし、即座にバラすのはもったいない。模擬葬儀であんなに消耗していたはずなのに、吉沢さんはしっかりと投稿用の撮影を済ませた。撮影しているときだけは、ピカピカの笑顔だった。そして、相変わらずコンパスがぐらつくような足取りで、扉の向こうへ消えていった。ありがとうの一言もなかった。相変わらず、ちょっと失礼な人だった。礼儀作法を学ぶような環境に、育たなかったせいだと思いたい。

 そんなロスタイムを換算しても、片付けは設営よりずっと早く済む。魔法が解けて、ホストクラブは会議室へと戻った。あとはゴミを車へ詰め込んで、オフィスへ戻れば終わりだ。

「あ、智也くんは一緒に戻らなくていいよ。近くの駅まで送っていこっか?」

 山岸さんが、優しい声をかけてくれる。

「いいんですか」

「うん。今日の智也くん、しんどそうだし」

「えっと、そうですね。何ででしょう。前みたいに、殴られるとか、わかりやすいやつじゃなくて、心がまだ追いついていないというか。こういうの、想定してなかったです」

「そうだよねえ」

 山岸さんが同調する。

「でも、模擬葬儀で『親を死んだこと』にできたら、少しは楽になるかもね」

 吉沢さんが、せめて今日くらいは薬を飲まなくても眠れているといいな。

 智也は自分のためにも、そう願うことにした。

(本編は書籍でお楽しみください)



【4月18日発売予定!】

『ハピネスエンディング株式会社』書影

『ハピネスエンディング株式会社』
トイアンナ


トイアンナ
1987年生まれ。慶應義塾大学卒業後、外資メーカーで勤務し、文筆業にて独立。エッセイからノウハウ本、小説まで幅広く執筆している。書籍に『モテたいわけではないのだが ガツガツしない男子のための恋愛入門』『改訂版 確実内定 就職活動が面白いほどうまくいく』など。Twitter @10anj10

◎編集者コラム◎ 『ダークマター スケルフ葬儀社の探偵たち』ダグ・ジョンストン 訳/菅原美保
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