▽▷△超短編!大どんでん返しExcellent▼▶︎▲ 岡崎琢磨「初盆の墓参り」
母の骨が納められた墓は丘の上にあった。一帯が広大な墓地となっており、まわりを木立が取り囲み、その外側は見晴らしのいい崖である。
二月に癌で亡くなったので、今年が初盆ということになる。俺は会社のお盆休みを利用して、墓参りにやってきたのだった。
お盆には、死者の魂が帰ってくるという。
いまならわかる。死者に帰ってきてほしいと願わずにいられなかった人々の気持ちが。
墓地は墓参りの客で溢れていた。墓石を磨いていると、頭の中に母の思い出が甦った。
母は女手一つで俺を育てた。実は、俺よりも先に女の子がいたと聞いている。しかしその子は、五歳のころに不慮の事故で亡くなってしまった。それがもとで両親の仲もうまくいかなくなった。俺を妊娠したことが発覚したのは、離婚が成立したあとだったそうだ。
娘の死と離婚にともなうゴタゴタで疲れ切っていた母は、父には知らせないままで俺を産み、育てた。決して裕福ではなかったが、それなりに幸せな家庭だった。そして俺はいつしか、結婚して子供を授かり、母に孫の顔を見せることが最大の親孝行だと考えるようになっていた。だが、それももう叶わない。
いい歳をして結婚はおろか恋人もできない自分を、さぞ母は心配していただろう。せめて安心させてあげたかった。ごめん、母さん。出来の悪い息子で、本当にごめん──。
気づけば俺は、墓の前にしゃがんだまま涙を流していた。
「おじさん、だいじょうぶ?」
幼い声が聞こえて、顔を上げた。
墓の奥に、小さな女の子が立っている。
どこから現れたのだろう。女の子の背後には木立しかなく、保護者らしき人も見当たらない。
「心配してくれたんだね。ありがとう」
俺は笑顔を作ったが、涙声は隠せなかった。
「どうしてないてるの?」
女の子が首をかしげる。ふと、その顔に見覚えがあるような気がした。親戚にこんな年頃の子がいるなんて、聞いたこともないのだが。
「ママが死んじゃったんだ。おじさん、だめな息子でさ。全然親孝行できなかったんだよ」
そう答えると、女の子はこちらへやってきて、俺の頭を撫でながら言った。
「なかないで。ママかなしむよ」
その言葉に、はっとさせられる。
きっと母は天国から俺を見守っている。母が生きているうちには間に合わなかったけれど、結婚はこれからでも遅くない。むしろ過去を嘆いて前に進めないでいるいまの自分は、どんなにか親不孝だろう。
「わかった。おじさん、もう泣かないよ」
女の子は満足そうに笑い、手を振る。
「よかったー。おじさん、げんきでね」
木立のほうへ駆けていく女の子を、俺は思わず追いかけた。
「そっちは危ないよ──」
ところが木立を抜けると、女の子の姿はどこにもない。
──消えた?
そこで、ようやく思い至る。
お盆には、死者の魂が帰ってくるという。そして母の墓には、幼くして亡くなった姉の遺骨が一緒に納められている。
どうりで見覚えがあるはずだ。彼女には、俺や母と同じ血が流れていたのだから。
──ありがとう、お姉ちゃん。
母の墓のもとへと戻る。と、そこに母と同世代の男性が立っていた。
「きみは……」
「母のお知り合いですか」
俺がそう訊ねた瞬間、男性は目を見開いた。
「そうか、きみが……」
続く言葉に、俺は驚いた。
「彼女は私の妻でした。つまり、私はきみの父親ということになります」
男性は俺に、共通の知人より母が亡くなったという報せを受け取ったこと、その際に息子がいるのを初めて知ったこと、お盆を機に、亡くなった娘と前妻の墓参りに来たことを説明した。
「ずいぶん苦労をかけてしまいました」
「いえ。母は俺を大事に育ててくれました。あなたを責めるのは母を責めるのと同じです」
深い皺の刻まれた父の目尻に、涙がにじむ。
「手を合わせたら、私はすぐに立ち去ります。娘と孫娘を、車に待たせてありますので」
俺は自分に妹と姪がいることを知ったが、会わせてくれとは言わなかった。罪のない人たちを、いたずらに混乱させたくはない。
父が墓の前に屈み、合掌する──そこに若い女性が、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「ねえ、お父さん!」
「どうした、そんなに大きな声を出して」父が眉をひそめる。
「大変なの! 私、居眠りしちゃってて、気がついたら後部座席のドアが開いてて──」
そのとき、崖の下から悲鳴が聞こえた。
岡崎琢磨(おかざき・たくま)
1986年、福岡県生まれ。京都大学法学部卒。2012年、第10回『このミステリーがすごい!』大賞隠し玉に選出された『珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を』でデビュー。13年、同作で第1回京都本大賞受賞。その他の著書に『夏を取り戻す』『貴方のために綴る18の物語』『Butterfly World 最後の六日間』『鏡の国』など多数。