週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.166 梅田 蔦屋書店 永山裕美さん

書店員コラム_永山さん

『新しい恋愛』書影

『新しい恋愛』
高瀬隼子
講談社

 恋愛って、どういうものだっただろう。

 恋愛についての小説を確かに読んだはずなのに、恋愛の定義が余計にわからなくなった。恋愛とは果たしてこんなものだっただろうか。甘く切ない、というのが恋愛小説における、よくある形容だと思うが、そこからこんなに遠く離れたところにきてしまった。読み終わった後に、そんなことを思った。

 この本には恋愛に関した5つの短編が収録されている。そして、この5つの恋愛は一見よくあるものに見えるけれど、なぜか、どの話も程度の差はあれ、すこしずつ歪で、よくよく考えると奇妙で、変だ。

 この中で、「いくつも数える」という短編が特に、強烈に印象に残った。発端は、50歳の課長の「年の差婚」だ。皆から慕われるとても良い上司だったのに、「年の差婚」を気持ち悪いという女性の部下の発言で、自分もそう思ってしまっていたことに、主人公の津野は気付く。2人のうち1人が極端に若い人の場合だけ、何故異質なものとしてうつるのか。また、そんな個人的なことで、左遷的な人事がおこなわれたのではないかという噂がまことしやかに囁かれるようになり、津野は婚活パーティーで知り合って、いい感じになっている23歳の女性と、38歳という自分の年の差を何度も数えるようになる。

 さらに、実は津野にはもう1人数える対象がいる。よく飲みに連れて行ってもらい、いつも奢ってもらっている、職場の一回り年齢が上の既婚女性だ。恋愛関係ではない、気持ちの良い先輩だが、その人から「言語化しがたい欲のようなものを、向けられていることだけが分かっていた」というところで、背筋が凍りそうになった。季節ごとに楽しく飲んでいるだけなのに、少しずつ澱んでいく「名前の付かない眼差し」の正体を津野が突き詰めていく様子が怖すぎて、息を呑むように読んだ。言語にしなくても、行為にしなくても、何かが伝わってしまうこと。そして、それに応えてもよいかもしれないと思っていた気持ちは恋愛ではなく性欲で、最近、その欲が自分の中に無くなったのは相手が50歳になったからか、と考えるくだりなど、余りにも残酷で、眩暈がしそうになった。津野の視線に悪意がない分、心底恐ろしく、まるで、ホラー小説のようだ。

 十数年、何度も飲みに連れて行ってもらい、初めてその人から食べさせてもらったものが沢山あり、そういったもので自分ができていると思う、その人への感謝と、実際には何もされていない、表出されていない欲望との間で、葛藤して身動き出来なくなる様子がリアルで、ぞっとしてしまった。考えすぎじゃないのかと思いをのみこみ、「自分が困っているわけがない」とやり過ごしてきた感情を、若い女性と知り合い、そして、自分が若くなくなったことで自覚に至る過程がほろ苦い。自分ではどうしようもない、年齢差にまつわる恋愛が、心の奥底にあるささやかな違和感をあぶり出していく様子は圧巻の一言だ。

 高瀬隼子の書く物語はいつも少し怖い。そこら辺にある、日常の景色をくっきりと変えて見せる。あらすじを言葉にすれば、ありふれてさえいるのに、書かれたものを読む度に、視点がクリアになり、自分がどこに引っかかりを覚えていたのかわかる。どうして変なのか、何が変なのか、変なのは一体誰なのか。どの作品も、あなたならどうすると問われているようで、これはまさしく踏み絵のような小説だと思う。

 この本で、いつか読書会をしてみたい。絶対に盛り上がるはずだ。まだ開催してもいないのに、えええという驚きの声が聞こえるような気がする。

「この人たちみんな、誰かを大切に思ったり、思われたり、している人なんだろうか。その大切は、いつまで続くものだろう。あるいは、いつ始まるものなんだろう」

 表題作の「新しい恋愛」の主人公が思うように、他人の恋の話を、互いの奇妙さについて、本当に不思議だと思いながら、もっと話し合ってみたい。引っかかるのそこ?と互いに指摘しながら、自分ならこうはしないだろうと言いながら。でも、なぜ、この小説の登場人物がそうしたのか、私たちは理解できる。それが共感出来ても、出来なくても。その感情はなぜだか気持ちを明るくさせる。

 

あわせて読みたい本

『会話を哲学する』書影

『会話を哲学する 
コミュニケーションとマニピュレーション
三木那由他
光文社新書

「会話」という行為から、何が読み取れるのか。私たちは普段、「会話」を通じて、何をしているのか。フィクションの事例から、「会話」をこれまでとは違った視点で見るための本。
『新しい恋愛』では恋愛感情と呼ばれる感情に、一体何が含まれているのか考えさせられるが、この本は「会話」にどういったものが含まれているのか、一つずつ丁寧に解体して、私たちに見せてくれる。こんな風に言われて、確かに困ったことがある、ああ、あの時、私はこういう目にあっていたのかと、色んなことが腑に落ちた。
 そして、なぜ私たちは漫画や小説、アニメや映画、そういった創作物に触れて、悶絶しそうに心を動かされるのかといった秘密もやさしく教えてくれる。より個人的な体験に基づいた『言葉の展望台』や『言葉の風景、哲学のレンズ』もぜひ併せて、読んでほしい。

 

おすすめの小学館文庫

活字のサーカス 上

『活字のサーカス
上・下
椎名 誠
小学館文庫

 昔、岩波新書で出た、椎名誠の活字四部作『活字のサーカス』『活字博物誌』『活字の海に寝ころんで』『活字たんけん隊』の文庫化である本書。今、読めば、どうしても古さは感じるが、この語り口に、なんとも懐かしい気持ちになった。本について書かれたものだからか、目黒考二(北上次郎)や沢野ひとしも随所に出てきて、在りし日の「本の雑誌」の誌面のようだ。それは今の「本の雑誌」にも引き継がれているが、純粋にこの本が好きだ、というあざやかな気持ちを思い出させてくれる。こういった、くだけた形で紹介されることの少ない、自然科学系の本が多いところも嬉しい。

  

永山裕美(ながやま・ひろみ)
大体、何でも読みます。本当は残りの人生、本だけ読んでいたいと思う今日この頃。


椹野道流の英国つれづれ 第37回
伊多波 碧『生活安全課防犯係 喫茶ひまわり』