高瀬隼子『いい子のあくび』
覚醒へ
『おいしいごはんが食べられますように』で芥川賞を受賞した高瀬隼子は、どこか抜けのいいストーリーと文体、そして若干のホラーの感触を伴いながら現代人が日々飲み込むさまざまな鬱屈を見事に炙り出してきた。芥川賞受賞第一作『いい子のあくび』は、全三話が収録された短編集だ。主人公に選ばれた三人の女性たちは、果たして「いい子」か否か?
傷付いていいんだ 怒ってもいいんだ
冒頭に収録された表題作は、「わたし」のこんなモノローグから始まる。〈ぶつかったる〉。スマホをイジりながら自転車に乗っている中学生男子とすれ違う瞬間、わざと体を斜めに傾ける。ぶつかる。〈痛い。痛いぶんだけ、わたしは正しい〉。相手の自転車はバランスを崩して倒れ、やって来た車と小さな衝突事故を起こす。その事故が、「わたし」──会社員の直子の日常をかすかに、やがて決定的に揺さぶることになる。
第四三回すばる文学賞を受賞したデビュー作『犬のかたちをしているもの』では、世に言う「ぶつかり男」と主人公の遭遇が、この社会で女性のみが被る暴力の一つとして描かれていた。同じモチーフを、加害性へと転換した背景にはどんな想像力が作用したのだろうか。
「どの作品も主人公は自分自身ではない。でも、自分の中にあるものからスタートしているとは思います。私自身の感覚から始めていって、どんどん違う人になっていく。歩きスマホやながらスマホをしている人にぶつかられると〝うわ、ムカつく。こっちもやったろか〟と思うんですよね。やらないんですけど、〝やったろか〟とは瞬間的に思っている。主人公の直子は、それを行動に移すことのできる人でした」
もともと本作は、すばる文学賞受賞第一作として発表された。編集者からざっくり半年後にという締め切りを提示され、作家として続けていけるか試される感覚の中で書き進めていった。その切迫感が、もしかしたら他作品以上に、書き手の内側にある感覚を引きずり出し、自分とは異なりながらも重なる主人公像を導き出していったのかもしれない。
「私も直子と同じように、子供の頃から『いい子』と言われるタイプなんです。大人にそう言われるのがイヤだったけど、イヤだけどラクだからその方向でずっとやってきたら、『いい子』に類似する言葉を特に二〇代の頃、職場で結構言われていました。『いい子』は褒められているけど下げられているというか、本当に大事で好きな相手には言わない言葉だと思うんですよね。そもそも自分が『いい子』ではないことは、私自身が一番よく分かっていますし(笑)」
直子は「いい子」に嫌悪感を抱きながらも、そう見られるよう会社の同僚や恋人の前で振る舞ってしまう。そんな自分を嫌悪する、負のループに陥っている。一方で真性の「いい子」である恋人の大地に関しては、バカにしながらも憧れている点が興味深い。人は人と、こんな感情で一緒にいることもできるのだ。派手な事件が起こるわけではないが、読み心地は常にスリリングだ。
「小説は、自分がなんとなく想像が及ぶ範囲以外にも、いろいろな人たちがいるという当たり前のことを教えてくれました。こんなことに傷付いていいんだ、とか、このことに怒ってもいいんだ、こういう感情を持っていいんだということも小説から学んだものです。そのことを常に意識しているわけではないですし、初々しい恋愛小説も本気でいつか挑戦したいと思っているんですが、私が小説を書く動機はその辺りにあるのかなと思います」
幸福と言えば結婚? そんな訳ないじゃん
二編目の「お供え」では、会社の同僚が机の上に創業者のフィギュアを置き、お菓子をお供えし始めたことから巻き起こる社内の奇妙な風習が綴られる。同僚がよかれと思ってしたことが、主人公の心情を地の底へと叩き落とす。
「よかれと思っては、何一ついいことがないですね。私も芥川賞を受賞した後でちょっと忙しくしていた時に、一緒に住んでいる夫がよかれと思って晩ご飯を作ってくれたりしたんです。何本もある受賞エッセイの締め切りがキツすぎて食欲もないのに、どうしてテーブルに座ってご飯を食べなきゃいけないの、って……。いや、普段は仲がいいんですよ! 本当に忍耐強い人だなと思っています(笑)」
ここでも第一編と同じく、主人公が言葉を飲み込まざるを得ない状況が発生している。会社(員)のリアリティは、現在も兼業作家として活動する高瀬の強みだ。
「会社については、これは友達から直接言われた感想なんですが、〝イヤなことをイヤって言えば解決できるじゃん〟と。全くその通りだしそうしたほうがいいんですけど、〝でも、できなくない?〟と。自分が本当に思っていることを言う場ではないし、周りの人もきっとそう思っているはずだという感覚が、作品にも出ちゃっているのでしょう」
三編目の「末永い幸せ」は、文芸誌の編集者から「幸福論」というお題をもらって執筆した作品だ。二十年来の幼馴染である三人の独身女性のうち、一人が結婚を決めたことから驚くべき展開が勃発する。
「結婚式でみんな〝お幸せに〟と言うし、幸福と言えば結婚なのかな、と。でも、そんな訳ないですよね(笑)。友達が結婚を喜んでいることに関してはよかったねって素直に言えるんですけど、別に結婚がめでたいものだとは考えていないし結婚式は大嫌いだ、という気持ちが譲れない人もいるんじゃないかと思ったんです」
本当に思っていることを飲み込む行為は、本当は思っていないことを言わされてしまう行為と裏腹の関係にある。こう心を動かしこう答えるべきだ、と感情をカツアゲされながら生きている三人の主人公は、読者の似姿だ。
仕事と友情と小説どれが一番大事か
表題作の主人公が学生時代に校長先生の長い話を聞きながら我慢していたあくびは、彼女の生真面目さや「いい子」を象徴するエピソードであると同時に、日々の中で口に出さずに飲み込んでいる言葉や感情のメタファーでもある。
あくびは睡眠状態へ移行するための準備であると認知されることが多いが、実は脳の「覚醒」のために発生する運動でもあるのだ。本書収録の三編および高瀬作品はどれも、読者をさまざまな形で「覚醒」へと誘ってくれる。作者自身も同様だ。
「はっきり自覚していたわけではないんだけれども、書くことで自覚してしまった結果、自分が困るという悪いフィードバックが最近よく起こっています。例えば、何かお土産をもらった時に、全然欲しくないものなのに〝ありがとうございます〟と言うのってめっちゃ疲れるな、とか。二〇代の頃は結婚式にたくさん出席してきたんですが、この間結婚式を一個断っちゃったりして……。
これを世に出して私、どんな顔で出勤したらいいんだろう、友達とどんな顔をして会っていいかわからない、とも思いました(苦笑)。でも、仕事と友情と小説だと、小説が一番大事だから仕方がないんですけどね」
話を伺っていると、小説を発表することで自身の現実にどんな作用が起こるか、楽しみにしているように感じられる。
「読者のみなさんがどう読むのかは、〝これは作者の経験かも?〟と思われることも含めてお任せで、と思っています。一〇年以上小説を書いてきてずっと読まれなかった時期が長いので、読んでもらいたい欲が強いんです。だから毎日、鬼のようにエゴサしています(笑)。隼子の隼の字を間違えられることが多いので、違う漢字でも検索して全部見つけていますね。〝面白くなかった〟という言葉に出くわすこともあるんですが、ネガティブな感想でも〝そうか、そういう読み方もあるんだ〟と教えてもらえる感覚があるんです」
現在、今年文芸誌「文學界」に発表した中編「うるさいこの音の全部」と短編「明日、ここは静か」を合わせた作品集を準備している。二作はなんと、芥川賞を受賞した兼業作家が主人公で……。小説と現実の混じり合いを、最も楽しんでいるのは作者自身かもしれない。
「職場の人に読まれるのがイヤだなぁって作者の私が思うよりも、同僚がこんなの書いている職場の人のほうがイヤですよね(笑)」
いや、職場の同僚も友人も家族も、めちゃめちゃ面白いと思います。
公私共にわたしは「いい子」。わざとやってるんじゃなくて、いいことも、にこにこしちゃうのも、しちゃうから、しちゃうだけ。でも、歩きスマホをしてぶつかってくる人をよけてあげるのは、なぜいつもわたしだけ?「割りに合わなさ」を訴える女性を描いた表題作(「いい子のあくび」)のほか全三話。芥川賞受賞第一作。
高瀬隼子(たかせ・じゅんこ)
1988年愛媛県生まれ。立命館大学文学部卒業。「犬のかたちをしているもの」で第43回すばる文学賞を受賞。『おいしいごはんが食べられますように』で第167回芥川賞を受賞。他の著書に『水たまりで息をする』がある。
(文・取材/吉田大助)
〈「STORY BOX」2023年9月号掲載〉