椹野道流の英国つれづれ 第37回

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◆銀行口座を巡る戦い #4

翌日から数日間、アレックスは別件で出張することになったので、銀行通いはいったんお休みとなりました。

焦りつつも、一方でちょっとだけホッとしてしまった自分が嫌になります。

イギリスに来て以来、勿論、親切で心優しい人たちとの出会いはいくつもありましたが、それ以上に、厳しいこと、つらいことが多かったからです。

「お前の英語はアメリカ式だからダメだ」としょっちゅう指摘され、英語を話すたびに、色んな人に嫌な顔をされてしまうこと。

語学学校のグループディスカッションのとき、思ったことを上手に言葉にできず、話に乗れないこと。

そしてそのことを、雰囲気や表情でドイツ人クラスメートたちに小馬鹿にされていると感じ取れても、彼らが小声で囁き合うドイツ語の意味がわからず、反応できないこと。

色んなところで、小さな、もしかしたら悪気がないかもしれないアジア人差別を受けること。

そして今回の、銀行口座開設を拒否され続けていること。

今にして思えば、望んで他国に留学した以上、ちょっとした勇気を振り絞って乗り越えるべき、あるいは毅然として対応するべきことばかり。

でも、当時の私は、すっかり萎縮し、怯えてしまっていました。

もう、新たに傷つきたくない。

できることなら、学校での勉強と、リーブ家への往復以外、何もしたくない。

そんな、情けないほど暗くて内向きな気持ちになっていたのです。

勿論、お金のことを一刻も早く解決しなくては、早晩一文無しになってしまう。それはわかっていても、足がすくんで、どうにもこうにも……という感じでした。

その日の午後は、いつものように個人レッスンがスケジュールされていました。

もはや私専用ルームと化している、かつては使用人部屋だった半地下の小部屋で待っていると、授業開始のチャイムから3分ほど遅れて、教師のボブが入ってきました。

「ごめんね、ちょっと風邪気味かなって思ったんで、これを買いに行ってたんだ。はい、君の分もあるよ。待たせたお詫びにどうぞ」

遅刻を謝りつつも、とくに悪びれない笑顔で、ボブは机に小さな紙パックのジュースを2つ置きました。
ああ、これ、街角の小さなグロサリーでよく見るやつ!

〝Ribena〟(ライビーナと読みます)という、ブラックカラントの濃縮還元果汁のジュースです。

「ありがとう。これ、風邪に効くの?」

受け取って、共にちゅーちゅーと細いストローで冷えていない(本当に、ガチの室温です)ジュースを飲みながら、私はボブに訊ねました。


「椹野道流の英国つれづれ」アーカイヴ

椹野道流(ふしの・みちる)

兵庫県出身。1996年「人買奇談」で講談社の第3回ホワイトハート大賞エンタテインメント小説部門の佳作を受賞。1997年に発売された同作に始まる「奇談」シリーズ(講談社X文庫ホワイトハート)が人気となりロングシリーズに。一方で、法医学教室の監察医としての経験も生かし、「鬼籍通覧」シリーズ(講談社文庫)など監察医もののミステリも発表。ほかに「最後の晩ごはん」「ローウェル骨董店の事件簿」(角川文庫)、「時をかける眼鏡」(集英社オレンジ文庫)各シリーズなど著作多数。

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