ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第150回

「ハクマン」第150回
実写ドラマ化の詳細が
ついに発表された。だが
原稿の催促はやってくる。

前に私の作品が実写ドラマ化するという話をしたかと思うが、先日その詳細が発表された。

  

放送局は、この放送局から国民を守護ろうとする政党が存在する局、そして主演はあの人だ。

  

すでに「名前を呼んではいけないあの方」みたいになっているが、主演はヴォルデモート卿ではない。

しかし国内の知名度で言えばおそらく卿よりも上であり、私でも知っているレベルの人だ。

  

自分が知っているかどうかが基準になると思っている奴のことを心の底から気持ち悪いと思っている人もいるだろう。

しかし私のように青春期が二次元とニコ動の反復横跳びで終わっているタイプは、芸能人に対する知識が30年間独居房に入っていた人と同レベルなので、そういうタイプが発する「俺でも知っている」はそれなりに重い言葉として受け止めてほしい。

    

メディア化というのは私にとっては夢の一つであり、それが考え得る限り最高な形で叶えられようとしていることに関しては恵まれているとしか言いようがない。

しかし、気持ち的にはすでに生涯に一片のなしオブ悔いみたいになっているのに、人生と生活は普通に続いていることに正直戸惑っている。

いわば、天に拳を突き上げて絶命しているラオウのところに「明日までに目通しておいてください」と会議資料を持ったモヒカンが次々とやってくる感じであり、キレよく放尿した後に「最低でもこの線まで入れてください」と検尿カップを渡されているような感じだ。

ドラマ詳細が発表された日にも「おめでとうございます、ところで締切は昨日でした」と催促のメールが来るし。この連載の催促も当たり前にやってきた。

宝くじで2兆円当たったとしたら、担当からの連絡などフルシカトして今ある連載全て即日終わっても特に問題ではない。しかしメディア化というのはそういう物ではないのだ。

  

確かに、メディア化は私にとっては目標であり、その時点で相当嬉しいのだが、名実で言えば「名」の方である。

知っている人も多いと思うが、メディア化されることにより、原作者に支払われる使用料はそこまで大きいものではない。

メディア化することにより原作が売れるという「実」が起こらない限りは、担当のメールをシカトし、アドレスを全部迷惑設定にすることができないのだ。

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

採れたて本!【デビュー#26】
TOPへ戻る