▽▷△超短編!大どんでん返しExcellent▼▶︎▲ 上條一輝「突撃!心霊スポット『簞笥の家』」

「はい、『簞笥の家』に到着でーす」
自ら構えたカメラに向かって、大きな声で言う。
「一応、説明するか。『簞笥の家』は群馬の安中にある心霊スポットでーす。かつて住んでいた『よし子』という女が、簞笥の引き出しに首を突っ込んで死んでいたそうで、それ以来、簞笥に向かって『よし子さん』と呼び掛けると女性の霊が出るんだって」
言い終わると同時に、カメラを目の前の一軒家に向けた。
この数年で廃墟はすっかり見慣れたが、ここは一段と古い。人が住まなくなって、数十年経つのだろう。黒ずんだ木造家屋は僅かに傾いており、植物に侵食されている。
「よし、じゃあ入っちゃいまーす。幽霊、マジで出てくれよ」
いい加減そろそろ、幽霊に会いたい。何度も空振りが続いたせいで、このごろは気力も萎えつつあった。
それでも、今度こそは。
既に夜も深い。懐中電灯で足元を照らしながら、慎重に進む。玄関のガラス戸に手をかけ、力を込めた。鍵が掛かっている。カメラを置いて、手近な石でガラスを割り、手を突っ込んで鍵を開けた。もう慣れたものだ。
それでも廃墟独特の埃っぽい空気を嗅ぐと、少しだけ腰が引けてしまう。カメラ片手に心霊スポットを回り始めて一年も経つのに、未だに天性のビビりは治らないらしい。自嘲しながら、歩を進める。
入って左手に水回り。右手と正面に和室。それだけの小さな家だった。多少荒れているが、どの部屋もかつての暮らしが窺える程度には家財道具が残されている。
「……これだ」
正面の和室に、それはあった。なぜか部屋のド真ん中に、大きな木製の衣装簞笥が無造作に置かれている。他にそれらしきものはない。間違いない、これが例の簞笥だ。
下から二段目の引き出しだけが開いていた。
恐る恐る近づいてみると、中には着物だろうか、布の類がごちゃごちゃと入っている。
「よし、言いまーす」
カメラを手近な棚の上に置いて、簞笥と自分自身が映るようにした。肉眼で霊が見えなくても、カメラ越しになら映るかもしれない。
ふぅ、と息を吐く。微かな緊張と、僅かな興奮で、背中にじんわり汗をかいていた。今回こそは『ホンモノ』であってくれ。祈るような思いで、口を開く。
「よし子さん、よし子さん。いらっしゃいますか?」
大きな声で言って、少し待つ。
「よし子さん、いたら姿を見せてください。音でもいいです。何か鳴らしてください」
周囲を見回して、耳を澄ましてみる。そのまま少し待つが、何の物音もしない。
「よし子さーん! ……おい、よし子、出てこいコラ!」
また空振りか、という焦りから、つい語気が荒くなる。
「おい、このクソアマ、さっさと出てこい! 音だけでもいいから鳴らしてみろって言ってんだよ。ビビってんのか? 出てこないとなぁ、今度は」
ガタン
大きな音に、思わず言葉が止まる。そして眼前の光景に、目を疑った。
簞笥の引き出しが、揺れている。
ガタン、ガタンと音を立てて、一段だけ開いたままになっていた引き出しが震えていた。何も言えず、ただ呆然とその様子を見つめる。
そして――。目の前で、引き出しの中から、黒い何かがぬうっと姿を現した。
「うわぁああっ」
咄嗟にカメラを摑んで逃げ出す。足がもつれそうになりながら家を飛び出し、近くに止めていた車に飛び乗った。後ろを振り返るのも怖くて、すぐにアクセルを踏む。
夜の闇に沈んだ真っ暗な市街地まで戻ってきて、ようやく心が落ち着いてきた。目についた元コンビニの駐車場に車を滑り込ませ、適当なところに止める。
気付けば、自分の口から笑い声が漏れていた。
ついに、ついに幽霊に会えた。
その喜びから来る達成感。そして、あんなにも幽霊に会うことを待ち焦がれていたにもかかわらず、出会った瞬間に逃げ出してしまった自分への恥ずかしさ。その二つの感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、しばらく笑いが止まらなかった。
しかし……。しかし、あれは何だったのだろう。本当に『よし子』の霊だったのか。怖いが、戻って確認するか? ……ああ、そうだ。カメラがあるじゃないか。
助手席に放り出していたカメラを手に取り、先ほど録画した動画を再生してみる。
簞笥に向けて罵声を放つ自分自身。突然揺れ始める引き出し。そして、中から現れる何か。コマ送りで、その部分だけをもう一度観てみる。
簞笥から、ぬうっと『何か』が現れる。目を凝らす。背を向けて逃げ出す画面の中の自分を追うように、『何か』が完全に姿を現す。……小さな耳に、毛の多い体。
――ネズミだ。
見間違えるはずもなく、そこに映っていたのは大きなネズミだった。おそらく、こちらの大声にびっくりして、着物の下から顔を出したのだろう。
力が抜けた。今度こそ、ホンモノだと思ったのに。
フロントガラスの向こうの、真っ暗なコンビニの廃墟に目を向ける。割れたガラス。散らばった商品。駐車場のアスファルトを突き破って伸びる雑草。
人類が未知のウイルスで死滅して、もう三年になる。
なぜか、俺一人が生き残ってしまった。幸い、食料も、人力の発電機も、ガソリンも確保できた。あと十数年は問題なく生きていける。
しかし、寂しくて仕方がなかった。
人間に会いたい。誰かと言葉を交わしたい。だが、どれだけ探しても他の人間は見つからなかった。
では、幽霊ならば?
幽霊だって元は人間のはずだ。会えれば、この狂おしいほどの寂しさを埋められるのではないか。そう思って探し始めたのが一年前だった。ここまで成果は、ない。
もう疲れてしまった。
街灯の明かり一つない真っ暗な街の中で、俺はいつまでも項垂れていた。
上條一輝(かみじょう・かずき)
1992年長野県生まれ。早稲田大学卒。現在は会社員の傍ら、webメディア〈オモコロ〉にて加味條名義でライターとして活動している。2024年、『深淵のテレパス』(応募時タイトル「パラ・サイコ」)で創元ホラー長編賞を受賞し作家デビュー。その他の著書に『ポルターガイストの囚人』がある。