滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第2話 星に願いを①
20代のころ、適度な距離を保って付き合っているあいだは……。
第2話 星に願いを
首都ワシントンに住んでいたときの友人のジュリアとは、ナショナル・プレス・ビルディングのオフィスが隣同士だったことから知り合った。彼女は、名門ジョージタウン大学でアラビア語を専攻し、修士号を取ってから、アラブ系の新聞社で働いていた。なんだかえらくチャキチャキした、我の強い人だなというのが初めの印象だった。
ジュリアと話し合う仲になると、やがて、ジュリアのルームメートの、当時、博士課程で化学を専攻していた大学院生のモニカとも知り合いになり、3人で週末を過ごすようになった。パーティへ行ってもどこへ行っても、わたしたちは、いつも花見団子のようにくっついて、ほかの人たちそっちのけで隅を陣取って話し合った。 当時、わたしたちは20代だったのだけれど、3人で陣取って話に花を咲かせた隅っこを「seats for the elderly(シルバーシート)」と呼び、その仮設シルバーシートで、モニカは、あまりに的外れで失笑を買うことを言い、ジュリアは、あまりに冴(さ)えないからかえって笑ってしまう駄洒落(だじゃれ)を言った。
今ではモニカだけがワシントンに残り、ジュリアは日本、わたしはニューヨーク、とばらばらになってしまったけれど、モニカと話すとジュリアに話が及び、ジュリアと話すとモニカに及ぶ、といった具合に、3人ともゆるやかにくっつき合ってきた。
たとえば、先日、劇を見に行ったとき、開幕までに時間があったから、「そうだ、モニカと最近話していないから電話をかけよう」と思い立って電話をかけると、モニカも、「まあ、ちょうどあなたに電話をかけようと思っていたところよ」と言って──モニカは、電話をかけるたびに「ちょうどわたしもあなたに電話をかけようと思っていたところなのよ」と言うのだ──少し話したところで劇が始まりそうな気配になり、モニカも運転中だったので、「今夜、続きを話そう」と言い合って、双方とも、その晩、電話をかけるのを忘れた。
電話をかけても、用事なんか全然ないから、しゃべるのはいつも他愛(たわい)ないことばかりだ。
「チーズの量り売りコーナーで、チーズを買おうとしたのだけど、係員が見当たらなかったのよ」と、モニカはあるとき言った。
「どうしたらいいのかわからなくてウロウロしてたら、そこにたまたまいた人が、ブザーを押しなって言うから押したら、それ、消火用のブザーで、泡が噴き出ちゃって、チーズというチーズが泡で覆われちゃったのよ。ブザーを押せって人に言われたとき、それが呼び出しブザーじゃないってことはわかってたんだよね、なのに、わかってて押したのよ。ねえ、あなただってそうでしょう、間違ってるってことがわかってても、取りあえずやってみましょうって感じでやるってこと」
「どうかなあ」
すると、モニカは一瞬沈黙してから、
「いや、あなたならあるはずだわよ」
と言った。
そんなこんなを言い合っているうち、会話はモニカの「じゃ、さよなら」で、突如、終わった。化学博士ということは、細かい調合などをするから繊細な神経をしているかと思うと、そんなことは全然ない、モニカは、いつも脈絡なく、いきなり「じゃ、さよなら」と言って会話をぶち切るので、いつものことながら、毎度面食らってしまう。
長い付き合いだからお互いをよく知り合っているものの、だれかに意見をもらいたいときがあってもモニカには相談できないのは、モニカからは最短距離かつ最大公約数という短絡的な答えしか期待できないからだ。「うちにネズミが出るんだよ」と言うと、言った声の下から、「じゃ、すぐに引っ越しなよ」と言うモニカには、ネズミの出るところにいたくなくてもいなければならないもろもろの事情や制約があるかもしれないという発想がなく、そんなモニカであるから、ジュリアが仕事で悩んでいたときも、「じゃ、辞めればいいんじゃないの」と言うし、彼氏との付き合いに悩んでいたときも、「じゃ、別れたらいいじゃないの」といとも簡単に言う。人生は白黒つけられないことばかりで、仕事が嫌でも働かねばならないことも往々にしてあるし(というか、ほとんどがそうだ)、しっくりいかない関係でも、別れることがベストの結論でもないことだってあるはずなのだから、時々、モニカと話していると、もっと人生の機微を知ってくれ、もっと空気を読んでくれ、と言いたくなることもある。
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