「推してけ! 推してけ!」第7回 ◆『緑陰深きところ』(遠田潤子・著)
評者・北上次郎
(文芸評論家)
諦観と哀しみと力強い決意が心に残る
冒頭は一枚の絵葉書だ。雛人形の写真が印刷されている。正面から撮った男雛と女雛だ。通信欄には達者な筆でこう記されている。
花開萬人集
花盡一人無
但見雙黄鳥
緑陰深處呼
──花開けば万人集まり 花尽くれば一人なし ただ見る双黄鳥 緑陰深き処に呼ぶを
江戸時代後期の儒学者であり、漢詩人、広瀬旭荘の「夏初游櫻祠」の一節である。意味は、桜の花が咲いているときはみなが集まる。花が散ってしまえば誰も寄りつかない。ただ、葉桜の枝の、緑の陰の奥深く落ちるところで、つがいの鶯が呼び交わしている──そういう意味だ。
この漢詩には別の意味もあることがずいぶんあとに出てくる。栄えているときはいくらでも人が寄ってくるが、一旦落ちぶれると誰も寄ってこない。変わらず来てくれる者こそ真の人である──そういう意味もあるんだそうだ。
その絵葉書の差出人は、兄の征太郎だ。途端に、紘二郎の心がかき乱される。五十年近く前、大阪ミナミの千日前デパートが燃え、多数の死傷者が出た翌朝、この地で三人の人間が殺された。二人は包丁で滅多刺しにされ、残る一人は縮緬帯で首を絞められた。以来、惨劇のあった三宅医院で、紘二郎はたった一人で暮らしてきた。あれから五十年、死んだ者は生き返らないと思い、誰とも関わらずに生きてきたが、絵葉書を見た途端に、憤怒が沸き起こる。もう遅すぎたかもしれないが、しかしやっぱり許せない。紘二郎は呟く。プロローグのラスト一行はこうだ。
「兄さん、今からあんたを殺しに行くよ」
おお、いつもの遠田潤子だ。五十年近く前に死んだのは誰なのか。なぜ兄を殺しに行くのか。例によって、冒頭では何の説明もない。こうやって激しい感情を唐突にぶつけて始まるのが、遠田潤子なのである。
問題はこの先を紹介できないことだ。いや、204ページまでは紹介できる。そこまでは、大分県日田市まで兄を訪ねていくロードノベルである。同行者は二十五歳の蓬莱リュウ。1965年のコンテッサ1300クーペに乗って、二人の旅が始まっていく。大阪から日田市まで、急ぐなら新幹線で行けばいいが、五十年待ったのだから急ぐ旅でもない。だから途中で温泉に入り、神社に寄り、七十四歳と二十五歳の、まるで祖父と孫のような年齢差の二人がゆっくりと大分に向かっていく。古い車種なので途中で故障したりもして、旅は円滑には進まない。その間にさまざまなことがゆっくりと語られていく。この二人、ほとんど初対面と言っていい関係で、ひょんなことから一緒に旅に出ることになるが、その間、少しずつ二人の心が寄り添っていくのは言うまでもない。
問題は、ネタばらしになるのではっきりとは書けないが、204ページのところで、事態が一段落してしまうことだ。ここからラストの318ページまで、まだ一〇〇ページ強がある。どうするんだこの先。実はここから先の一〇〇ページ強が本書の白眉なのである。
そこまでの間に、たとえば倉敷に寄って睦子からの手紙を紘二郎が入手する挿話がある。さらに、紘二郎と睦子の出会いを描く回想も挿入されるので、だいたいの事情は推察できる。しかし、具体的には描かれないのでその実態は判然としない。五十年前にいったい何が起きたのか。なぜ紘二郎は兄を殺したいのか。
最後の一〇〇ページ強で、そのすべてが噴出する。意外な事実が、隠されていた真実が、どっと溢れ出る。そこがいちばんの読みどころだろうから、何が語られるかはここではいっさい紹介できない。
ここに書くことができるのは、人は必ず死ぬということだ。その運命から逃れることは誰にもできない。しかし、大切な人が死んでゆくとき、すぐそばで見送ることはできる。私たちにできるのはそれだけだ。
その深い諦観と哀しみと、しかしだからこそ力強い決意が、ラストの新緑の風景からゆらゆらと立ち上がってくる。心に残る物語だ。
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『緑陰深きところ』
著/遠田潤子
北上次郎(きたがみ・じろう)
文芸評論家。1946年東京都生まれ。76年、椎名誠を編集長に「本の雑誌」を創刊。『冒険小説論─近代ヒーロー像100年の変遷』など著書多数。最新刊は『阿佐田哲也はこう読め!』。
〈「STORY BOX」2021年5月号掲載〉