スピリチュアル探偵 第7回
出会いは、僕がスピリチュアル探偵を目指す前のことだった。
本物の霊能者を求めて東奔西走するようになり、ざっと15年超の時が経ちます。誰に頼まれたわけでもないのに、我ながら酔狂なことだと今さらながら感心してしまいます。
おそらくその原動力となっているのは、ロマンを求める好奇心と、スピリチュアルな現象を信じきれない疑心なのだと思います。率直にいえば、そうした不思議な力や世界があることを信じたいからこそ、その証拠を示してくれる人を僕は探し求めているわけです。
しかし、いくら僕が暇人でも、まったく根も葉もないものをこれほど長期間にわたって追い続けるのは至難。こうして飽きもせずに全国の霊能者を訪ね続けられるのは、それなりに期待させる"何か"を掴んでいるからこそです。
その"何か"の一端は、かれこれ20年近く前に経験した、某超能力者のホームパーティーでした。元祖エスパー少年として世に出たK氏の実家(北千住のお寿司屋さんでした。今はもうありません)で、僕はリアルなスプーン曲げを間近で目撃しています。
もちろん、トリックが入り込む余地はあったでしょう。一説にはスプーンを曲げるトリックは数十種類も存在すると聞きますし、それを素人目で看破するのはまず不可能。
ただ、目の前で手も触れずに曲がり、そしてポッキリと折れたスプーンの残骸には、どうしても腑に落ちない謎が残りました。僕が何の気なしに折れたスプーンの皿の部分をテーブルの上に置き、もう一方の柄の部分を近づけてみたところ、両者は磁石のように反発し、皿がくるくると回転し始めたのです。
帰宅後、試しに自宅のスプーンを力任せにねじ切って同じことをやってみましたが、もちろんそうした磁力を帯びることはありません。これはやはり、人知を超えた不思議な力が介在しているのか──。
厳密には、超能力者と霊能者は似て非なる存在なのかもしれません。しかし、そんなモヤモヤとした気持ちを解決する一助にはなるのではないか。そんな思いから、僕のこの活動はスタートしています。
〈CASE.7〉勝手に守護霊を視てくる関西弁のオバハン
前置きが長くなってしまいましたが、実際に本物の霊能者探しを始めてみると、世の中には思いのほか「視える」とのたまう御仁が多いことに驚かされます。
彼(彼女)らが"視える"としているのは、守護霊であったり前世であったりオーラであったり、実に多彩。ちょっと変わったところでは、波動やカルマと表現する人もいましたが、それらはきっと、同じジャンルの中でごった煮にされているものなのでしょう。
そこで今回はちょっとした番外編。僕が駆け出しライターだった頃に出会った、守護霊や前世が視えると公言する女性の事例をご紹介させていただきます。
当時、僕は仲のいいイベンターさんのお手伝いで、しばしば都内某所のオフィスに顔を出していました。商品PRから地域興しまで大小様々なイベントを手掛けるその会社には、昼夜を問わず多種多様な人たちが出入りしていました。
その中に1人、やたら大きな声で関西弁を操る、派手なオバハンがいました。小さな広告代理店の人でしたが、正直、押しが強くて空気を読まない苦手なタイプ。そのため最初のうちはあまり近づかないようにしていたのですが、オフィス内で断トツに若かったその頃の僕を、オバハンは妙に気に入ってくれました。
事あるごとに食事や飲みに駆り出され、そのうち少しずつオバハンと打ち解けていきます。すると、あるイベントの打ち上げ(といってもサシ飲みでしたが)の席で、そのオバハンが唐突にこう言ったのです。
「あんた、前世はパン職人やで」
「は?」
「パン職人。それもヨーロッパのどっか」
「………」
見事なまでに脈絡のない話題に、ただただぽかんとする僕。今も昔もオカルティックな話は大好物なはずですが、どう処理していいかわから戸惑う僕。そもそも僕はパン派ではなくごはん派です。
「それは、どういうことですか」
「言わなかったっけ。私、そういうの視えるんよ」
「ええと、前世が視えるってのは、つまり幽霊とかも視えちゃう人なんですか?」
「もちろん。なるべく視ないようにしてるけど」
さあ、困った。この酔っぱらいの戯言にどう対応するべきか。若かりし日の僕は、懸命に頭を巡らせました。
友清 哲(ともきよ・さとし)
1974年、神奈川県生まれ。フリーライター。近年はルポルタージュを中心に著述を展開中。主な著書に『この場所だけが知っている 消えた日本史の謎』(光文社知恵の森文庫)、『一度は行きたい戦争遺跡』(PHP文庫)、『物語で知る日本酒と酒蔵』『日本クラフトビール紀行』(ともにイースト新書Q)、『作家になる技術』(扶桑社文庫)ほか。