作家を作った言葉〔第2回〕道尾秀介
小学校時代、同じクラスだったT君が放課後にカメレオンの話をした。
「飼ってるから見に来てよ」
ランドセルを背負ったままT君の家に向かいつつ、僕は気が重たかった。それまでも彼は、狂犬病の犬がよだれを垂らして走っているのを見たと言ったり、ツチノコを捕まえたと自慢したり、自転車の前輪と後輪が同時にパンクして死にかけたと話したりしていたからだ。はじめはみんな信じたふりをしていたけど、そのうちだんだんエネルギーが切れていき、もう誰もT君に近寄らなくなっていた。
初めて見るT君の家は、病気にかかったように外壁が黒ずんで、部屋の中はT君と同じにおいがした。
「あそこにいる」
T君が指さしたのは、壁に掛けられた、埃だらけの造花の飾りだった。
「あのバラの、ちょっと下。色が同じになってるからわかりにくいけど」
「ほんとだ」
迷った末にそう言うと、T君は嬉しそうに笑った。
「ね、いるでしょ」
僕はどうしてかとても哀しくなり、でもつぎの瞬間、驚くべきことが起きた。造花の中にカメレオンが見えたのだ。見えないけど見えた。僕たちは二人して興奮し、「そっち行った!」「こっち見た!」「いま舌出した!」などと盛り上がった。冷蔵庫のキャベツを千切って造花に近づけ、お腹が空いていないみたいだと言って二人で代わりに食べたりもした。
噓を信じて世界をつくるという行為に興味を持ったのは、たぶんあのときだった。いつのまにかそれが職業になったいま、噓を聞いてくれる人がだんだんいなくなっていったときのT君の気持ちが、よくわかる。
道尾秀介(みちお・しゅうすけ)
1975年、東京都出身。2004年『背の眼』でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞し、デビュー。10年『光媒の花』で山本周五郎賞、11年『月と蟹』で直木賞を受賞。最新刊『N』は、六つの章の読む順番を、読者自らが決めることによって720通りの読み方ができる前代未聞の小説。ミュージシャンとしても活躍中。
〈「STORY BOX」2022年2月号掲載〉