『spring』恩田 陸/著▷「2025年本屋大賞」ノミネート作を担当編集者が全力PR

決して墜ちない星のこと
恩田陸にバレエ小説を書いてほしい。なぜならバレエが好きなので。
思えばずいぶん大それたわがままをご本人にぶつけてみたのは24歳のときだった。新卒入社をして2年目、編集者になって1年目、2016年から2017年にかけて爆発的なヒットをたたき出す『蜜蜂と遠雷』は連載が終わってもいない時期になる。恩田さんはもちろんすでに輝かしい文学賞の数々を獲得した大人気作家のポジションだったが、あの頃はまだ「直木賞作家」ではなかったし、当然ながら「史上初・2度目の本屋大賞受賞」もしていない。
構想から10年、『spring』は見事開花した。
ピアノが売れたからバレエも書いてみたんじゃない?
そういった声が稀ではあるが聞こえるたび、性根の曲がった私はこっそりほくそ笑んでいる。違うんだよな。恩田さんはね、書いてみたい、と感じたからこそ書いたんです。ただひたすらに。
小説家の仕事はどこまでいっても最後はひとりだ。担当編集が隣にいようが前にいようが後ろにいようが一緒に酒を呷っていようが、結局のところ作品世界を創り上げるのは作者しかいない。その権利は作者にしかない。依頼をして取材をして、誰より先に原稿を読める贅沢な時間を過ごせたことは編集者として幸運だけれど、日本屈指のプロフェッショナルが「デビュー30周年記念作品」と宣言したこの大きな仕事に果たして己が役立てたのか、正直いまでもわからないままだ。
ひとつ断言するならば、この『spring』は恩田陸の魂に深く深く繋がっている。主人公の天才舞踊家・萬春の身体のみならず、登場するどのキャラクターの細部にまでも、第一線の書き手として、あるいは生身の人間としての美学が、愛が、痛みが、孤独が、そしてさいわいがあらゆるかたちで宿っていて、だから動く。だから踊る。だから祈る。バレエをはじめ舞踊なるものは言語表現と対極に在り、そんな芸術を言葉にするのは無茶な冒険と誰でも想像するだろうに、それでも作家は書きあげた。読者に世界を届けにきた。発売の日から1年経てなお確かな覚悟に心が震える。
3度目の本屋大賞ノミネートが決定したのち、恩田さんから新しい手書きメッセージをいただいた。
「『spring』は私にとって最高のエトワールです」。
エトワール、つまりは星。バレエ団における最高位ダンサーを指す言葉。
この一言がきっと全てを表している。
唯一無二の春の祭典、目撃を。

──筑摩書房 砂金有美