日常の中に宿る美しさを伝える〈物語〉

何気ない日常に美しさは宿っていることをサリンジャーは教えてくれる。
書店員名前
喜久屋書店倉敷店(岡山) 三玉一子さん

 物語を読む頻度が以前に比べて随分少なくなっていることに気づいた。育休から復帰して一年が経った。時短勤務のため早送りで業務を終え、消化不良の気持ちを振り切って保育園へ。夕飯の支度と家事諸々を片づけて九時頃子供と布団に入り、目が覚めたら朝、という日も少なくない。いやむしろ多い。そうした生活のリズムにもこの一年で慣れ、そっと本のページを開く時間も戻ってきた。

『メッセージ』という邦題で映画化もされたテッド・チャン『あなたの人生の物語』は、突如地球を訪れた異星人と対話を試みる女性言語学者が、未知なる世界観を受け入れてゆく過程を描いたSF作品である。主人公ルイーズが我が子を抱くシーンの空気感があまりにリアルで驚いた。まだ乳児だった頃の壊れそうな小ささ、おむつの匂い、慢性的寝不足だったこと、そうした情景が緻密かつ静謐に描かれていて胸が締め付けられる。

『あなたの人生の物語』
ハヤカワ文庫

『ライ麦畑でつかまえて』の作者J・D・サリンジャーによる短編集『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年』では、「ライ麦」の主人公ホールデンや「バナナフィッシュにうってつけの日」で自殺したシーモアなどおなじみの人物たちに会うことができる。作品の至るところに人々のちょっとしたしぐさ、何てことない風景がちりばめられている。何気ない日常に美しさは宿っていることをサリンジャーは教えてくれる。

『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年』
新潮社

 絵本が大好きな娘と今夢中になっているのはムーミン。中でも『ムーミン谷の仲間たち』(トーベ・ヤンソン)に収録された「目に見えない子」に登場するニンニという少女が母子揃って大のお気に入りである。ニンニは一緒に住んでいたおばさんに冷たくされ続けたせいで姿を見えなくしてしまった女の子。ムーミン一家の温かな愛情の中で過ごすうちに姿を取り戻す。当たり前の景色に含まれた奇跡をこの物語を通して私たちは感じることができる。

 

『ムーミン谷の仲間たち』
講談社文庫

 星野源さんが「くだらないの中に愛が」と歌っているけれど、続いてゆく日々の生活の中にきっと大切なものは沢山詰まっているのだろう。あわただしさからつい見過ごしがちな私たちの人生の美しさを〝物語〟は眼前に広げて、再確認させてくれる。

〈「きらら」2019年7月号掲載〉
 
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