大滝瓶太『口笛吹きと音楽の犬』

大滝瓶太『口笛吹きと音楽の犬』

プロフェッショナルとアマチュアリズム


「子ども時代の経験があれば一生分の小説を書くことができるはずだ」というようなことをフラナリー・オコナーはエッセイで書いているのだけれど、自我の芽生えが遅かった僕にとってのそれは大学生活の9年間だった。作家になってからの8年を振り返ると、たしかにこれまで書いてきたものは人生のある時期に経験したことをもとに書いている実感はある。

 この9年というやたら長い大学生活は学部時代の4年と大学院時代の5年に分けられる。それぞれまったく別のことに力を入れていて、前半の4年はほぼ音楽(クラシックギター)、後半の5年は研究(熱・統計力学)に没頭していた。昨年10月に刊行した『理系の読み方』(誠文堂新光社)や今年3月刊行の『花ざかりの方程式』は大学院時代の頭のなかにあったものを膨らませた感じで、自分のなかでは書けなかった博士論文の代わりでさえある。

 一方、『口笛吹きと音楽の犬』は学部時代の経験が詰まっている。もともと自己表現を恥ずかしいと思うタイプの人間で、たとえば小説を書いている人間はキモいと思っていたし、サッカーがうまいだけでイキっているクラスメイトのことを「プロになるわけでもない中途半端な運動能力でなぜそんなデカい顔ができるのか」とか思っていたのだが、その冷笑は学部時代の自分にそのまま返ってくる。

 サークルでは年に1回、12月に定期演奏会を開催していたのだが、そのために使える時間とお金をすべて注いでいた。プロになるどころか、アマチュアとしてもそんなに上手くない、客入りもまばらな演奏会になぜこれだけの情熱(!?)をそそげたのか……というのは冷静に考えるとまぁまぁ謎だ。

 この謎は自分が小説家になってから少しわかるようになった。プロフェッショナルとアマチュアリズムの違いだ。重要なのは両者に序列があるわけではないということで、プロにはプロの、アマチュアにはアマチュアの表現がある。観客を満足させるのとは違う、自身に向けられた表現的衝動──かつて僕が「恥ずかしい」と思っていたものこそが、アマチュアリズムの核。それは表現者にも必要なもので、プロフェッショナルとアマチュアリズムは相反しない。プロであろうとアマチュアであろうと、表現者はみずからのうちに両者のマインドをもっていて、それぞれの濃度が個性となる。

『口笛吹きと音楽の犬』でコンクールだけに絞らなかったのは、相反しないプロとアマのありかたを描くことに、表現の奥深さがあると考えたからだった。作中で登場した楽曲のうち、ピアソラやスカルラッティはクラシックギターでよく演奏されるもので、学生時代に「いつか弾いてみたいな」と部室で何度も楽譜をなぞった。あの頃の「いつか弾いてみたい」はいまの「いつか書いてみたい」とよく似ている。そしてなお残るアマチュアリズムにつき動かされ、いま僕は小説を書いている。

  


大滝瓶太(おおたき・びんた)
作家。1986年生まれ。兵庫県淡路市出身。2018年、第1回阿波しらさぎ文学賞を受賞。同年、文芸誌「たべるのがおそい」に短編「誘い笑い」が掲載されデビュー。小説に『その謎を解いてはいけない』『花ざかりの方程式』、批評に『理系の読み方』。

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『口笛吹きと音楽の犬』
著/大滝瓶太

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