【著者インタビュー】道尾秀介『スケルトン・キー』
19年前、散弾銃で撃たれた母親の胎内から取り出され、養護施設で育った男の数奇な運命を追うダーク・サスペンス。常に新しいことに挑み続ける、著者にインタビュー!
【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】
タイトルの意味が分かったとき戦慄とともに涙がこみ上げてくる二度読み必至のサスペンス小説
『スケルトン・キー』
KADOKAWA
1500円+税
装丁/高柳雅人 装画/長谷亮平
道尾秀介
●みちお・しゅうすけ 1975年東京都出身。2004年『背の眼』でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞し、翌年デビュー。07年『シャドウ』で本格ミステリ大賞、09年『カラスの親指』で日本推理作家協会賞、10年『龍神の雨』で大藪春彦賞、『光媒の花』で山本周五郎賞、11年『月と蟹』で直木賞を受賞。08年に文庫化後、100万部を突破した『向日葵の咲かない夏』や『ラットマン』『鬼の跫音』『球体の蛇』『風神の手』等著書多数。170㌢、60㌔、O型。
湾曲を抱えた人や、悪の才能の発現など、小説家は物語のテーマで問題提起もできる
〈恐怖〉は、人を狂わせる。
一方で恐怖を
道尾秀介氏の新作『スケルトン・キー』は、19年前、ある男に散弾銃で撃たれた母親の胎内から取り出され、養護施設で育った僕、〈坂木錠也〉の数奇な運命を追う。バイク便稼業の傍ら、「週刊総芸」記者〈間戸村〉の下で日夜スクープを追う彼に、同じ施設で育った〈ひかりさん〉はかつて〈錠也くんみたいな人はね〉〈サイコパスっていうのよ〉と言って、こう教えてくれた。〈発汗の度合いが低いこと。心拍数が低く、緊張時や興奮時にも心拍数の増加が見られないこと〉〈そういう人たちは、危険な見た目や雰囲気を持ってるわけじゃない。でも、他人に共感する度合いとか、恐怖を感じる度合いが生まれつき低いの〉……。
だから危険に身を晒し、心拍数増加作用のある抗鬱剤トリプタノールを常用してまで〈もう一人の僕〉を遠ざける彼を、しかしさらなる試練が襲い、〈道尾作品史上もっともダークな制御不能のノンストップ・サスペンス〉(帯より)は、その悲しく、残酷な幕を開ける。
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「実はこれ、まだ構想もない段階で
参考文献には中野信子著『サイコパス』が並ぶなど、彼らの内面を一人称で書くことは宿願でもあった。
「元々脳科学の本は好きで。恐怖という防衛本能や共感能力の欠損以外に、発汗や心拍数などの客観的特徴もあるのが興味深い。特に心拍数は心理のメーターゲージとしてピッタリでした。
主人公が恐怖感情を持つと、それが行動を抑制し、物語を縛る。だから『羊たちの沈黙』のレクターもあくまで三人称で書かれる敵役なんです。そこで僕は、あえてサイコパスの一人称を書こうと思いました」
高校卒業後、都内のバイク便会社に入社した錠也は、配送先の出版社で間戸村と出会い、尾行係にスカウトされる。悪天候の中を顔色一つ変えずに疾走する彼に、間戸村は〈やばいなこいつ〉と直感したらしく、この日も大物俳優と朝ドラ女優の不倫現場を押さえた彼に報酬を奮発してくれた。が、錠也にとっては命知らずな走行で心拍数を上げ、〈まとも〉でいることが、バイトの最大の目的なのだ。
「究極の怖いもの知らずという特性を間戸村はうまく生かしてくれたともいえて、このままいけば錠也は
絵や音楽の才能も、環境次第で開花したりしなかったりする。サイコパスは遺伝するのかとか、〈鉛〉の摂取との関係とか、科学的事実は正確に知っておく方がいい。それを隠すと、逆に差別や偏見が生まれます」
それは幼馴染の〈うどん〉こと迫間順平と久々に会い、実はうどんの旧姓が〈田子〉で、父〈庸平〉はかつて飲食店に強盗に入り、女性従業員を撃った犯人だと告白された後のことだった。19年前、錠也の母が当時勤めていたパブで田子庸平という男に撃たれ、命がけで彼を産んだことは、園長から錠也も聞いていた。〈やっぱり俺のお父さんが撃ったのって〉と言い募るうどんに錠也は〈違うから〉とだけ答える。だが、自宅近くの公園でトイレに入った時だ。鏡の中の〈凍りついたような目〉に、彼は初めての恐怖を覚えるのである。
今作が鍵となって僕の視界も開いた
と、ここまでが第一章。物語の性格上、二章以降の展開に関して詳述は避けるが、実は
ちなみに表題は、〈丸い軸に四角い歯がついた〉鍵のことで、英語では〈合い鍵〉も意味するとか。母の遺品である〈古い銅製のキー〉を常に持ち歩く錠也もその意味までは知らなかったが、終章ではグリム童話「金の鍵」を引きつつ、亡き母の切なる思いも明かされる。
「これはある少年が雪の中で鍵を見つけ、箱の蓋を開けるというだけのごく短い話ですが、寓話は思いもよらない効果を呼ぶことがある。巻頭に引いたマーク・トウェインの言葉や、ひかりの〈鏡像〉を用いた〈疑似無視〉の話も、この寓話を引用したことで全然違うものに見えてきました。
物語が物語を深め、それが誰かの実人生をも変える。今回もこの小説自体が鍵となって視界がパッと開けたというか、僕自身、見ているようで何も見ていなかったことを痛感しました」
例えば向かって右の口角が上がった顔と左の口角が上がった顔では、後者を笑顔と認識する人が多く、ダヴィンチのモナ・リザなども鏡像だと別の印象になる。この人の顔を認識する際に右脳=左の視野を専ら使い、右の視野が無視される脳の働きを〈シュードネグレクト〉、つまり疑似無視という。
「疑似無視は必ずしも悪いことじゃなく、一種の省エネ行動なんですよね。一々全部が見えてしまうと脳は大混乱に陥り、処理を最小限で収めるために左脳の働きをネグレクトする。それは単なる
〈心拍数と反社会的な行動の関係性は医学的に、たとえば喫煙と肺癌の関係性よりもはるかに高い〉とひかりさんは言い、錠也は自らの内に潜む〈
「〈芋虫を真っ直ぐに伸ばすことはできるが、その湾曲は身体の中で、ただ待っている〉と語ったトウェインは、犯罪者も意味するCrook=湾曲という単語をあえて使っている。でも全てが矯正不能だとは僕は思わないし、湾曲を抱えた人の人生を周囲が変えたり、悪の才能が発現するか否かをテーマに小説家が物語を書いて、問題提起することだってできるんです」
小説を書くことに飽きないために常に新しいことに挑み、「僕の場合、常に興味が外に開かれ、内にこもることがないので、やりたいことは増える一方」と語る人気作家は、汗かき、かつ怖がりで、体温は常に高めだ。
●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光
(週刊ポスト 2018年8.31号より)
初出:P+D MAGAZINE(2018/10/08)