◉話題作、読んで観る?◉ 第66回「月」
10月13日(金)より全国ロードショー
映画オフィシャルサイト
2016年に起きた「相模原障害者施設殺傷事件」をモチーフにした、辺見庸の同名小説の映画化。『舟を編む』で映画賞を総なめにした石井裕也監督が、さまざまな障害者施設をリサーチした上で、原作を再構築した新しい物語にしている。
かつて作家だった洋子(宮沢りえ)は、森の奥にある重度障害者施設の介護スタッフとして働き始める。人形アニメーションを自主制作中の夫・昌平(オダギリジョー)には収入がないため、原稿を書くことができなくなった洋子が外で働かなくてはいけない状況だった。言葉によるコミュニケーションが難しい入所者たちへの対応は、容易ではなかった。
障害を持っていた息子を幼くして亡くした洋子は、癒えない心の傷を抱えながらも、施設での仕事に情熱を傾けるようになる。やがて同僚である作家志望の陽子(二階堂ふみ)、絵を描くのが好きな青年・さとくん(磯村勇斗)と、親しくなる洋子だった。世代の異なる彼らを自宅に招き、家族ぐるみでの交流を深めていく。
仕事に慣れてきた洋子は、目を背けたい事実に気づく。職員による入所者への心ない言葉や虐待が日常的にあり、鍵が掛かった個室に閉じ込められたままの入所者がいること。そんな現実に誰よりも憤っているのが、さとくんだった。彼の異変を察した洋子は、懸命になだめようとするが、もはや彼は聞く耳を持っていなかった。施設を辞めさせられたさとくんは、一時的に措置入院するも、あっさりと退院。凶器を手にしたさとくんが、深夜の施設に現れる。
原作では入所者のひとりであるきーちゃん(宮沢りえ2役)の視点から、さとくんが事件を起こす顛末が語られた。石井監督はきーちゃんの別人格(分身)である健常者のあかぎあかえを参考にして、映画の主人公・洋子を新たに造形。洋子の視点から、さとくんが「意味のないものは僕が片付けます」という危険な考えに取り憑かれていく様子をクローズアップしている。
石井監督は『茜色に焼かれる』や、最新作『愛にイナズマ』(10月27日公開)など、理想を追い求めるあまりに理不尽な現実から乖離してしまう主人公たちの悲喜劇をたびたび描いてきた。誰に対しても親切で、正義感の強い「さとくん」は、そうした石井作品の主人公像の延長線上にいる存在だ。並の俳優なら躊躇するだろうこの難役を、磯村勇斗はサイコパスではなく、ごく普通の若者として淡々と演じてみせている。
絶望と希望は、背中合わせの関係にある。多くの災いを解き放った「パンドラの箱」の最後に残されていたのはエルピス(希望)だった。さとくんが絶望という名の底なし沼に陥ったのに対し、洋子はささやかな希望を最後まで信じようとした。両者を分けたものは、ほんのわずかな違いだったのではないだろうか。