◉話題作、読んで観る?◉ 第65回「こんにちは、母さん」
9月1日(金)より全国公開
映画オフィシャルサイト
劇作家・演出家の永井愛の戯曲『こんにちは、母さん』を、山田洋次監督が映画化。東京の下町・向島を舞台に、〝中年の危機〟を迎えた主人公が家族を再発見する物語となっている。
大企業の人事部長を務める昭夫(大泉洋)が久々に実家を訪ねたところ、母・福江(吉永小百合)が髪を明るく染め、若々しくなっていたことに驚く。無口な足袋職人だった夫に先立たれた福江は教会のボランティア活動に参加し、牧師の荻生(寺尾聰)と楽しそうに過ごしていた。
シニアライフを満喫する福江に対し、会社や妻との関係がうまくいっていない昭夫は複雑な気持ちだった。しばらくすると、大学に通う昭夫の娘・舞(永野芽郁)も実家に現れ、福江に懐くようになる。ご近所さんが集まり、風通しのよい実家での生活が、昭夫も次第に心地よくなっていく。
いちばん身近なはずの家族だが、家族同士が本音で話し合う機会は意外と少ないもの。一緒に暮らす家族だから、話せないこともある。また、年齢を経ることで、親子関係は大きく変わっていく。昭夫は母親の変化に戸惑いながらも、自分の知らなかった新しい母親と出会う。家族を再発見することで、昭夫の内面もリセットされていく。
2001年に初演された舞台は、加藤治子(福江)、平田満(昭夫)、杉浦直樹(萩生)という名優ぞろいの配役で好評を博し、再演も行なわれた。映画版は昭夫の娘・舞役で永野芽郁が加わる形でアレンジされている。人と人との距離が近い下町での昔ながらの生活が、若い舞には逆に新鮮に感じられる。福江の恋愛話の聞き手を務めることで、舞も他人を思い遣ることのできる大人の女性へと成長していく。
昭夫が抱える悩みは、福江の力では決して解決することはできないし、やがて昭夫は老いた福江の介護に気を揉むことになるだろう。それでも昭夫は幸せ者だ。『男はつらいよ』の寅さんが柴又に戻ることなく、今もひとりで旅を続けているのに比べ、昭夫には帰る場所があるのだから。
下町の夜空に大きな花火が打ち上がる。この世に生まれてきたものすべてを祝福するかのような、美しいエンディングとなっている。
(文/長野辰次)
〈「STORY BOX」2023年9月号掲載〉