週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.116 丸善丸の内本店 高頭佐和子さん

目利き書店員のブックガイド 今週の担当 丸善丸の内本店 高頭佐和子さん

ムツゴロウさんの最後のどうぶつ回顧録

『ムツゴロウさんの最後のどうぶつ回顧録』
畑 正憲
集英社

 ムツゴロウさん=畑正憲氏は、子どもの頃に憧れたヒーローの一人だ。大好きな番組『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』を、放送されるたびに夢中になって見た。臆病でひ弱な私はムツゴロウさんのようには決してなれないだろうけれど、こんなふうに生き物たちに囲まれてみたい、心を通わせて暮らしてみたいと妄想したものだ。

 本書は、雑誌『週刊プレイボーイ』での連載をまとめたものである。動物たちの野生と性を、ムツゴロウさんは正面から受け止める。その姿はテレビでもよく見ていたはずだが、読むとよりいっそう生々しい。気さくでユーモラスな文章は楽しく読めるが、発せられるひとことには強烈なインパクトがある。動物たちへの愛は、時に気まずくなるほど深く、思わずのけぞってしまうほど独特である。

 ヒグマの子を譲り受けたムツゴロウさんだが、いずれ発情して命の危険にさらされるのではないかとテレビ局のスタッフが心配する。反対を押し切り(というより一喝し)、1対1の同居を始めるのだが、環境が変わっていら立ったヒグマに噛みつかれる。手足には犬歯の穴が開き、血が四散する。それでもムツゴロウさんは引かない。「肉が欲しいなら、噛みちぎって食べろ」

 念願だったゾウの孤児院を訪れたムツゴロウさんだが、子ゾウに激突され、肋骨を骨折してしまう。もうムリだと思うのが普通の感性であるが、ムツゴロウさんは体にガムテープ(!)を巻き付けて計画を続行するのだ。ゾウと仲良くなり、体のやわらかい部分に触れて感激し、もっと彼らのことを知りたくなる。動物学者としては当然の感想なのかもしれないけれど、次のシンプルなひとことにビクッとしてしまった。「ゾウ。剖いてみたい!」

 動物たちの性も、このエッセイの興味深いテーマのひとつだ。難産の馬の出産について、友人に語るムツゴロウさんの言葉に驚愕した。胎児を無事に引っ張り出した後……「子馬が出てくるじゃない。すると、すぐその後に入りたくなる。足から入ってさ、頭だけを出してさ……」

 ヒエーッ!とか、ウワッ!とか、叫びながら読んでいるうちに、ムツゴロウさんに対する尊敬と愛しさが、改めてあふれてきた。私が動物と触れ合いたいと思う時、無意識に彼らを自分より下の存在と思ったり、人間の方に引き寄せて想像している。きっと多くの人が、そうなのではないだろうか。でもムツゴロウさんは、動物学者としての知識を活かしながら、どんな時も彼らと対等に対峙しようとする。動物たちの前に自分の身を投げ出し、一つの生命として彼らと理解し合い、感じ合おうとする。そうやって知ることのできた命の不思議と自身の稀有な生き方を、映像を通してたくさんの人に見せてくれた。映像には映せなかったムツゴロウさんの心が、この本には書いてある。

 こういう人がいたことを、ぜひテレビで見たことのない世代の方々にも、後の世の人にも、知ってほしいと思う(味わい深い著作の多くは残念ながら書店では手に入らない。復刊を願っている)。

 最後の章には、手書き原稿が掲載されている。ちょっとクセのある、かわいらしい字だ。動物への愛に溢れたイラストもいい。見ていると、あの明るい笑顔を思い出して泣きそうになってくる。ムツゴロウさん、あなたは今も、優しくてちょっと(いや、かなり)危険な、私のヒーローだ。

 

あわせて読みたい本

聖なるズー

『聖なるズー
濱野ちひろ
集英社文庫

 動物性愛をテーマにしたノンフィクションです。動物をパートナーとしている当事者たちに対する著者の真摯なインタビューは、衝撃的であると同時に、私の凝り固まった世界観を打ち砕くものでした。どう受け止めて良いのか、今もわからない部分があるところを含め、人間を含めた生き物の尊厳という問題に、新たな角度から考えさせてくれた一冊です。

 

おすすめの小学館文庫

吉祥寺デイズ

『吉祥寺デイズ うまうま食べもの うしうしゴシップ
山田詠美
小学館文庫

 山田詠美氏の小説には、恋をする人々が登場し、絶妙な言葉で五感を刺激して、心を稼働させてくれますが、このエッセイには美味しそうなものが次々登場し、目をつぶって想像するだけで幸福感を満たしてくれます。茹でたての枝豆やスパイスの効いたカレー、ナイフにへばりついたバターにときめきつつ、世の中を騒がせた出来事に対するビシッと筋の通った言葉にハッとさせられる……。なんと贅沢な一冊なのでしょう!

 

原田ひ香『喫茶おじさん』
原田ひ香著『喫茶おじさん』にずん・飯尾和樹さんからコメント到着