週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.123 くまざわ書店営業推進部 飯田正人さん
『夢分けの船』
津原泰水
河出書房新社
きょうは最近読んで滅法面白かった青春小説をご紹介します。津原泰水の『夢分けの船』という本です。えっ、津原泰水の新刊がまだ出ているんですか? そうなんです。津原さんは昨年10月2日に急逝されましたが、本作は2008年からウェブ媒体での連載がスタートし、加筆した上で2016年から2020年にかけて『文藝』に掲載、闘病中も改稿に向かい合おうとされていたところだったそうです。大幅な改稿の予定はなかったそうで、雑誌掲載分をまとめるかたちで今年の10月に単行本となりました。この本が津原泰水の最後の長編小説となります。
この小説にはまず技巧上の大きな特徴があります。冒頭の2文を引用しますのでゆっくり読んでください。
代々木のちっぽけな改札を通りかけ、これは誤った出口だったと直感して立ち止まった。手品師跣の手捌きで定期入れをセンサーに読ませるや、その一刻の無駄すら惜しむ威勢で陽光の下へと流れ出ていく人々は、凡ゆる熟しが修文とは異なる。
お気づきになりましたでしょうか、漢字が難しいことに。そしてこれは昔の話なのかな、と思いきや、改札は交通系ICなことに。このコンセプトについて、巻末で津原さんの旧 Twitter の投稿が紹介されています。
〈(前略)舞台は現代、文体は明治(新仮名)という試みです。本作の為に明治文学に埋もれました。特に漱石。単に珍奇な試行というのではなく、言語表現の移ろいと共に消失してしまった感情表現を呼び戻す意図があります。〉
これがどのような効果を生んでいるのか、ぜひみなさんに味わっていただきたいのですが、明治の文学に疎いわたしでも読み難いということはまったくなく、現代語で漢字表記しないものには基本的にふりがながふられているので安心です。だいたいの方には普段親しんでいない文章であるはずなので、すこし注意深く読むようになる、薄氷を踏むようなというと大袈裟ですが、足元を確かめながらじっくりと進んでいくことになる気がします。これは読み手の姿勢として。
物語の筋について触れます。作曲家を志し、音楽の専門学校に入るために上京した秋野修文は、手続きの窓口で学費を滞納してもめている嘉山と出会います。そしてその後、案内される引っ越し先の自分の部屋が、以前に住んでいた女子学生花音の幽霊が出るという訳あり物件であると知らされます。修文は嘉山と友人となり、エネルギッシュな彼に振り回されていく。さらに修文の住む物件の別の一室を「職場」としているセックスワーカーの霞、近所で飲食店を営む花音の姉の夕子さん、一緒にバンドを組む瑞絵さんと小河内さん、と周囲は賑やかになってきつつ、その合間に花音の幽霊の影がただならぬ雰囲気を醸します。
青春小説と冒頭に書きましたが、今しかない、この瞬間の情熱やきらめきなんかを描くタイプとは異なります。この時期特有の迷いというんでしょうか、未来の可能性はありそうなんだが、それ故に確かなものは何も得られていない感じ、この方向に進路をとっていてこの船は大丈夫なんだろうか、その揺れている気持ちと状況を、明治の文体ががっちり捕まえているのだと思いました(揺れているのに捕まえてるって妙ですよね)。ふわふわしたものが揺れているのではなく輪郭のくっきりとした質量のあるものが揺れている感じといえばいいのでしょうか。
人生を船旅に例えるなら死ぬまでは目的地につかないのかもしれませんし、海の上で揺蕩っているような状態は10代や20代前半に限ったことでないかもしれません。本作は、こんな青春送ってみたかった!系の青春物語とはまた違った感慨をもたらしてくれると思います。
それと最後に。作家が亡くなっても作品は残るのって、青春に似ていると思いませんか。
あわせて読みたい本
『ヒッキーヒッキーシェイク』
津原泰水
ハヤカワ文庫JA
この流れなら『ブラバン』を出すのがテッパンかもしれませんが、わたしの好きな『ヒッキーヒッキーシェイク』にしておきます。引きこもりを支援するカウンセラーが引きこもりを集めて始めるプロジェクト、その目的は〈不気味の谷を超えること〉。一体どういうこっちゃねん、何が起こるねん!と先が気になるご機嫌なストーリーテリングで、この度久しぶりに読み返してみたらやっぱり面白くってずんずん読んでしまいました。主人公のひとり、タイムくんも作曲家志望なんですよ。
おすすめの小学館文庫
『ドラえもん短歌』
選/枡野浩一
小学館文庫
みなさん短歌はお好きですか?あっ、そんなに。でもドラえもんは好きですね?ということで誰が読んでも楽しめる、ドラえもんを題材にした投稿短歌を集めた本なんです。編者の枡野浩一さんはこのような誰もが知るアニメやドラマを題材にして短歌を作る企画をやっていて、その中でもっとも面白い短歌が集まったのがドラえもん短歌だったとのこと。わたしが好きな歌は「奥さんがどこでもドアを持ってたらあたしたちもう会えなくなるね」。みんなもドラえもん短歌つくろうよ!
飯田正人(いいだ・まさと)
書店バイヤーをしています。趣味は映画(年間100本映画館で観ます)。最近嬉しかったことは指導担当のお店が褒められていることと、自宅の台所の下にもうひとつ収納があると気づいたこと。