週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.76 丸善丸の内本店 高頭佐和子さん

目利き書店員のブックガイド 今週の担当 丸善丸の内本店 高頭佐和子さん

この父ありて

『この父ありて 娘たちの歳月』
梯 久美子
文藝春秋

 女性が自立して生きることや表現者であることに、まだ世の中が寛容でなかった時代に、作家となることを選んだ9人の生涯に、父と娘という視点から鋭く迫ったノンフィクションである。『この父ありて』という題名から、さぞ立派なお父様たちに育てられた女性たちなのだろうと思われる方が多いのではないだろうか。もちろん、そのような父も登場する。修道女で教育者の渡辺和子は、二・二六事件に遭遇し目の前で教育総監だった父を撃たれるという経験を持つ。父と過ごした時間は短いが、「九歳までに一生分愛された」と語る。詩人の茨木のりこは、高潔な医師である父から、女性も一人で生き抜ける力を持つように説かれて成長した。父の希望した薬剤師にはならなかったものの、文学の道で才能を開花させた娘は、愛情深く育ててくれた父が亡くなった後に、「いい男だったわ お父さん」と詩に書いている。

 だがこのノンフィクションには、そのように娘の人生を後押ししてくれる慈愛に満ちた父ばかりが描かれるわけではない。むしろ精神的苦痛の原因となる父を持った作家も登場する。その一人が、萩原葉子である。文豪・萩原朔太郎の娘として生まれたが、両親とも決して愛情深くはなかった。朔太郎の勧めでダンスに夢中になった母は、恋人をつくって家を出てしまう。朔太郎は気まぐれに娘たちを構うことはあっても、身勝手な振る舞いをやめなかった。祖母から冷酷な仕打ちを受けても、決して守ってくれなかった。葉子は父の犠牲者のままで終わりたくないという気持ちで筆をとり、生涯家族をテーマに執筆を続けた。

 もう一人が、詩人・石垣りんである。りんが4歳の時、関東大震災が原因となり、実母が亡くなる。薪炭商を営む父は、その後3回も結婚をする。りんが17歳の時に四度目の結婚をしようとする父に対して「そんなにほしいの?」という言葉を投げかけ、激怒されるというエピソードが衝撃的だ。上の学校には進まず、銀行に就職したりんは定年まで勤めを続け、社会に対する鋭い視点を持った詩人としても活躍した。半身不随となった父は働くことができなくなり、一家の経済を支えたのはりんである。が、義母とも折り合いが悪く、家族とは温かい関係ではなかった。だが、りんは父への嫌悪を正直な言葉で詩にしながら同居を続け、家族を養い続けた。

 薄れることのない憎悪や嫌悪と、執着にも似た愛情のかけらが、娘たちの心の中には同居している。時代に翻弄された一人の男性として父を分析する視線を得て、書き続けることによってそのような捨て切れない感情と向き合い整理しようとしたのだろうか。自分の力で生きられるようになった彼女たちには、家族から解放されるという道もあったのかもしれない。あえて引き受けることをやめず、生涯書き続けた思いと覚悟をもっと知りたくなって、彼女たちが遺した作品を再読している。

 

あわせて読みたい本

父・萩原朔太郎

『父・萩原朔太郎
萩原葉子
小学館(P+D BOOKS)

 この随筆に書かれる朔太郎は、ひとことで言うとダメ人間です。家族の問題から逃げ続けただらしない父なのに、葉子の筆致には微笑ましいような愛情とユーモアも感じられるのが、どうしようもなく切ないのです。充分愛してくれなかった家族にこだわり続け、負の感情を飾ることなく描き続けた萩原葉子という作家の悲しいほどの執念と渇望に、強く惹かれます。萩原葉子作品は入手できないものも多いですが、昭和の名作を復刊している素晴らしいレーベルである P+D  BOOKS で読むことができます。ぜひ、著者の代表作である「蕁麻の家」三部作も続けてお読みください。

 

おすすめの小学館文庫

ミラノの太陽、シチリアの月

『ミラノの太陽、シチリアの月』
内田洋子
小学館文庫

 長年イタリアで暮らす著者は、出会った人に自分の人生を語らせる魔術師のようなエッセイスト。普通の人々の喜びと悲しみが、まるで短編映画のように次々に描かれます。まずは書店で「鉄道員オズワルド」を立ち読みしてみてください。誠実に生きた一人の男性の奇跡のような人生に心動かされたら、運命と思って購入してください。いつまでも心の中に持っておきたい大切な一冊になると思います。

著者の窓 第22回─翻訳者編─ ◈ 古屋美登里『わたしのペンは鳥の翼』
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