◎編集者コラム◎ 『クラーク・アンド・ディヴィジョン』平原直美 訳/芹澤恵

◎編集者コラム◎

『クラーク・アンド・ディヴィジョン』平原直美 訳/芹澤恵


『クラーク・アンド・ディヴィジョン』写真

 広島にルーツを持つ日系二世の庭師を主人公にしたマス・アライシリーズで知られる、日系米国人のミステリー作家・平原直美。エドガー賞最終候補作『ヒロシマ・ボーイ』でシリーズの幕を閉じた彼女が新たなシリーズに選んだ題材は、第二次世界大戦中の日系人コミュニティとそこで生きる女性の成長でした。強制収容所から出所した20歳のアキ・イトウが、自死として処理されそうになった姉の不審死の真相を求めてシカゴの街を奔走する『クラーク・アンド・ディヴィジョン』は、このシリーズの第1弾。エドガー賞の部門賞メアリー・ヒギンズ・クラーク賞やマカヴィティ賞を受賞、NYタイムズの年間ベストミステリーに選出されるなど、アメリカでとても高い評価を得た作品です。芹澤恵さんの瑞々しい翻訳によって、いよいよ邦訳版をお届けします。

 自身のルーツを描き続ける平原さんは、本作を描くために約30年間にわたって当時の記録を丹念に調べ、戦時下に敵国の民族として差別を受けながらも必死に生きる日系人たちを生き生きと描き出しています。もっと多くの日本の読者にこそ、彼女の作品を読んで頂きたい。そんな思いを込めた書評家・大矢博子さんによる巻末解説全文を公開します。

解 説


大矢博子


 平原直美の作品に予備知識がなく読み始めた人は、第一章から「おや?」と思ったのではないだろうか。たとえば、こういうフレーズだ。


〈マットレスは(略)日本語で言うところのペチャンコだったけれど〉

〈日本語学校のウンドウカイというスポーツ大会のときも〉

〈夕食に母が出した秘蔵の漬物、タクアンの甘酸っぱいにおい〉


 これら、ペチャンコ、ウンドウカイ、タクアンといった日本語は原文でもpechanko、undokai、takuanとイタリックで表記されている。これはカリフォルニア州で暮らす主人公の家庭が日系であり、その生活様式はもとより、移民一世の両親の会話にはしばしば日本語が混じることを表すテクニックだ。


 これらの言葉は本書ではカタカナで表記され、それだけで親しみが湧く。だがそこにハクジン(hakujin)というカタカナを見つけてドキっとした。これがカタカナ(原文ではイタリック)で記されているということは、主人公たちは日本語で「彼ら」を「ハクジン」と呼んでいた──そうカテゴライズして区別する習慣があったという意味に他ならないからだ。

 このように本書のカタカナ語からは日系アメリカ人の生活が浮かび上がってくるのだが、その中で、邦訳ではカタカナだが原文はイタリックではない日本語がある。その言葉がもともと日本語であるにもかかわらず、普通の英語として定着しているからだ。


 その単語とは「ニセイ」である。


 しかし日本語の二世とは大きな違いがある。日本語の二世は国籍に関係なく使われるし、親と同じ職業に就く子どもに対して使われることも多い。広い意味での「二代め」である。だが英語でNiseiというとき──それは日系人の二世のみを指すのだ。


 物語は一九四〇年代のアメリカが舞台だ。


 カリフォルニア州のトロピコで暮らすアキ・イトウは日系二世。日本から移民してきた両親、美人で人気者の姉の四人家族である。自分の考えをしっかり持って一際目立っている姉のローズと比較して劣等感にさいなまれることもあるが、黄色人種差別に直面したときには正面きって戦ってくれる大好きな姉だ。


 だが一九四一年、イトウ家の運命が変わる。日本軍による真珠湾攻撃。日米開戦。日系人の勾留や迫害が始まり、ついに一九四二年三月、カリフォルニア州に暮らす日本人は「アメリカ国籍を有する者も有していない者も」収容所へ送られることとなる。イトウ家が移送されたのは同じカリフォルニア州の内陸部の砂漠にあるマンザナー強制収容所だった。


 戦時下のアメリカでの日系人収容所は、たとえば虐殺を目的としたドイツのアウシュビッツや、強制労働につかせた戦後のシベリア抑留といった収容所とは異なり、アメリカに対して忠誠心を持つと認められた収容者は収容所を出ることが許された。ただし西海岸に戻ることはできず、行き先は戦時転住局(WRA)によって定められる。本書ではローズがシカゴに転住するニセイのひとりとして、一九四三年九月にマンザナーを離れたという設定になっている。


 そして翌年、アキと両親も収容所を出ることになった。行き先は姉の待つシカゴだ。製菓工場で働く姉は、家族で一緒に住める部屋を探してくれているらしい。シカゴには他にもトロピコでの知り合いがおり、新しい生活への期待と再会の喜びにイトウ家は胸を膨らませていた。しかしシカゴに到着した彼らを待っていたのは、その前夜、ローズが地下鉄の事故で死んだという知らせだった──。


 というのが第二章までの粗筋である。この二章までで、戦前戦中の日系人がアメリカでどんな立場にあったのかがたっぷりとつづられ、驚くことばかりだ。特にアキのような二世や三世はアメリカ生まれアメリカ育ちのアメリカ市民、日本の地を踏んだことすらないのに、ルーツが日本というだけで差別されるのである。収容所を出るにあたっての出所許可申請書に載っていた「あなたは日本国天皇に対する忠誠を拒絶することを誓えますか?」という質問に、「そもそも日本国天皇に、誰が忠誠を誓ったというのか?」と戸惑うアキ。そりゃそうだよなあ。ルーツによる差別がいかにナンセンスなことかわかるだろう。


 中でも思わず考え込んでしまったのが、戦時下で強制収容所に入れられたのは日本人・日系人だけだったという事実である。同じ敵国であるドイツ系やイタリア系のアメリカ市民はこれまで通りの生活をしているのだ。もちろんそこに苦労がなかったとは思わない。ドイツ系やイタリア系の人々もさまざまな軋轢あつれきに苦しめられたことだろう。しかし強制収容されたのは日本人・日系人だけなのである。これはどういうことか。真珠湾を攻撃したのが日本だったからか。それともアジア人種だからか(アメリカは中国人に対しても排斥の歴史がある)。


 そういった問いかけが山のように込められた二章までで、もう一編の長編を読んだかのようなずしりとした思いを抱えていたのだが、三章から物語は大きく動き出す。姉の死が自殺と処理され、あの姉が自殺するはずがないとアキが真相を調べ始めるのだ。


 姉のルームメイトと会ったり、姉の知り合いから話を聞いたり。そうして一歩ずつ真相に近づいていく過程は実にサスペンスフル! ミステリとして一級品である。


 また、シカゴでのアキの生活にも注目願いたい。シカゴのナイトクラブの退廃的な雰囲気、アキが職を得た図書館の描写、そこで育まれるポーランド系やアフリカ系の同僚との友情、公園でくつろぐ人々、そして希望とときめきに満ちたロマンス。姉の死や戦争という重苦しい物語の中にあって、これらの生活感あふれる描写は大きな救いだ。


 だがその中にも、戦時下の日系人の置かれた境遇が随所に顔を出す。底辺の肉体労働にしか就けない一世の両親、警察に相談しても無視されるアキの訴え、仕事を求める人々であふれかえる戦時転住局の事務所。彼らが直面するアイデンティティの問題とジェンダーの問題。作中、アキと同じ二世の青年が軍への入隊を志願する場面があるが、それは自分はアメリカ国民であるという主張だ。何より、このミステリの行く先が(ネタバラシはできないので具体的には書かないが)、二世という立場がどのようなものであったかを如実にあぶり出す。平原直美はこれが書きたかったのだと、ため息が出た。


 行間からアキの悲鳴と慟哭どうこくが聞こえてくるようだ。だがそれでも彼女は、二世たちは、日系人は、生きていかねばならない。アキは言う。「乗り越えるよ」と。「そのぐらいの自信がなくてどうする?」と。そのたくましさがうれしくも悲しい。


 平原直美は日系三世として一九六二年にカリフォルニア州で生まれた。スタンフォード大学で学士号を得て、ロサンゼルスの大手日系新聞・羅府らふ新報社に入社する。作中にも登場した新聞である。ちょうど第二次世界大戦中に強制収容所に入れられて資産を処分せざるを得なかった日系アメリカ人の救済と賠償問題が世論をにぎわせているなかに、彼女は記者として活躍した。


 アメリカで「ニセイ」という言葉が日系二世のみを指す単語として定着しているのは、この強制収容とその後の賠償が大きな社会問題となったがゆえだ。一九八八年にレーガン大統領が、一九九二年にはジョージ・H・W・ブッシュ大統領が国を代表して謝罪、二〇二〇年にはカリフォルニア州議会で日系人強制収容に対する謝罪の決議が全会一致で採択、そして二〇二一年にバイデン大統領は強制収容を「アメリカ史で最も恥ずべき歴史のひとつ」として正式な謝罪を再表明した。マンザナー強制収容所跡地にはバラックとトイレが復元され、史跡として保存されている。


 一九九六年に平原は羅府新報社を退社、その後は編集や出版の仕事に携わりながらノンフィクションを執筆する。そして二〇〇四年に、彼女の父をモデルとしたミステリSummer of the Big Bachiを出し、これが話題を呼んで「庭師マス・アライ」シリーズとして定着した。


 広島での被爆者であり日系二世である庭師のマス・アライが探偵役として孫娘とともに事件の謎を解くシリーズで、コミカルでコージーなストーリーではあるが、やはり底辺には日系アメリカ人の現実とアイデンティティの問題が色濃く流れている。このシリーズは第二作『ガサガサ・ガール』と第三作『スネークスキン三味線』、そして最終作の『ヒロシマ・ボーイ』(いずれも小学館文庫)が邦訳されているが、残りの四作もぜひ邦訳を期待したい。


 本書末尾には平原直美による「もっと詳しく知りたい方のために」と題された参考書籍の紹介があるが、そこに二作、日本の小説を加えておく。山崎豊子『二つの祖国』(新潮文庫)と、真保裕一『栄光なき凱旋がいせん』(文春文庫)だ。ともに第二次世界大戦下に日系人が直面したアイデンティティの問題を骨太に描いた佳作である。ぜひ本書と併せてお読みいただきたい。


 なお、本書に続くシリーズ第二弾Evergreenが、二〇二四年のレフティ賞の最優秀歴史ミステリー賞を受賞した。第二弾は本書から二年後、イトウ家がカリフォルニアへ戻り(えっ、アキのロマンスはどうなったの?)、そこで再び事件に巻き込まれるという話のようだ。日系三世として、ジャーナリストとして、そして小説家として、日系アメリカ人のリアルを追い続けてきた平原直美。アメリカで高く評価されている彼女の作品は、日本でこそもっと読まれるべきだと、声を大にして言いたい。


(おおや・ひろこ/書評家)

──『クラーク・アンド・ディヴィジョン』担当者より

クラーク・アンド・ディヴィジョン
『クラーク・アンド・ディヴィジョン』
平原直美 訳/芹澤恵
椹野道流の英国つれづれ 第30回
連載第19回 「映像と小説のあいだ」 春日太一