黒田小暑『まったく、青くない』
「あの頃」に捧ぐ
私は旅が好きで、以前はよく、ふらりと旅に出ていた。仕事はシフト勤務のサービス業だったので、客の少ない平日なら三連休の希望を出せた。午前勤務、休み、休み、休み、午後勤務、という形が、私の「一人旅シフト」だ。仕事が終わったら夜行バスで出かけ、三日後、夜行バスで帰ってきて午後から仕事に出る。そういう若さの濫用を、月に一度、やっていた。往復一万円の夜行バスと一泊三千円の安宿をとり、観光地でも何でもない土地で三日間を過ごす。必死に働く金、土、日と、思いきり羽を伸ばす火、水、木。同じ三日間であるにもかかわらず、前者は永遠に、後者は一瞬に思えた。その一瞬が、当時の私にとって一番の楽しみだった。
楽しい時間は短く、そうでない時間は長く感じるという。当時の私の日常は、お世辞にも「楽しい時間」とは言えないものだった。私の一人旅も、おそらくは、なかなか思うようにいかない日々の長さからの逃避だったのだ。
『まったく、青くない』に登場する四人の男女にとって、彼らがともに過ごした学生時代は、とてつもなく「長い」日々だったことだろう。家族の問題、友人との関係、恋愛の悩み、金銭的な不安、将来への迷い。出口の見えないその暗闇こそが、彼ら、そして、あの頃の私たちにとっての日常だった。その四年間には、きっちり四年分の喜怒哀楽が詰まっている。要約や抜粋は決してできない日々だ。
それなのに私たちは、そんなあの頃のことを「青春」と呼ぶ。いつの間にか、苦しみや悲しみを要約し、嬉しさや楽しさだけを抜粋している。永遠にも思えた暗闇を短くし、さも、あの頃が一瞬の輝きであったかのように語るのだ。
あの頃の喜怒哀楽を、長かった日々を、「青春」の二文字には収まりきらないすべてを、書きたいと思った。それによって、夜行バスの分厚いカーテンの隙間から夜を覗いていたあの頃の私を、「青春」という言葉に埋もれてしまったあの頃のあなたを、救いたかった。
あの頃を「青春」と言い換えることもできないが、本作を執筆していた一年前の私を、たった一〇〇〇字のエッセイでまとめることもまた、不可能である。一人でも多くの読者が本作を手に取り、一冊二五六ページを読んでくださることを願うばかりだ。