ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第113回
ザファを観に行ってきた。
原作を読んでいたころの
私の話をしたいと思う。
それともう一つインターネットが現れたのが大きいと思う。
私は高校生時代から個人HPという古墳を立てて、己のイラストや漫画をネットに晒すということをはじめていた。
この頃には、他人の作品を読むより自分の作品を他人に見てもらうことに興味がシフトしてしまっていたということだ。
おそらく人気作への咽がはじまったのもこのころだろう。
つまり創作者としてのマインドだけは高校生の時に完成されていたということだが、不幸なことにパラメーターがマインドに全振りされており、ギフトやスキルがなく、ガッツはマイナスでちょっとマインドにめり込んでしまっていた。
高校時代に受けた職業適性検査が「哲学者」以外全部F判定で教師から呼び出しを食らった話は何度もしているが、この検査の非情なところは適性と同時に「興味・関心」を調べる点である。
つまり、なりたい自分と現実がどれだけかけ離れているかがわかる仕様だったのだ。
私は当然漫画家を目指していたので「美術・芸術」への興味はAだったのだが、対して適性はFだったのである。
スイートな言い方をすると「向いていない」であり、ホットに言えば「才能がない」だ。
しかし向いていないと言われたにもかかわらず私は今漫画家をやっている。
向いていない、を無視してなったから今こんな有様と言えるが、幸い私は哲学者以外何をやってもこんな有様になるということが分かっているため「漫画家なんかになったせいでこんなことに」という後悔がない、そういう意味であの検査は受けて良かった。
スラダンもバスケを始めて4か月のほぼ素人がインターハイで活躍するという「才能」を感じさせる話ではある。しかし「努力」をないがしろにしているわけではなく、才能があるキャラも努力をしているし、小暮くんのように本当に努力でやってきた人間がちゃんと活躍する場面も多い。
だから大人になって「スラダンで誰が一番好き」と聞かれたら、最推しと好きな所を早口で語り終わったあと「でもメガネ君とかも好きかな」と言いたくなるのだ。
(つづく)
次回更新予定日 2023-08-25