ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第120回

「ハクマン」第120回
人間が死ぬ作品が見たい。
だがフィクションであっても
推しが死ぬのは辛い。

もし作品自体が、押井守が言うところの「アパートを出たり入ったりするだけ」のような日常系であれば、推しがアパートを出入りする様だけを安心して見続けることができるが、自分が「人間が3人以上むごたらしく死ぬ作品」を所望したせいで、推しがむごたらしく死ぬ可能性が出てきてしまうのである。

そうなると、つい先に進む前に、推しの安否をググってしまったりするのだ。

その結果、無事推しがむごたらしく死ぬと分かって、その時点で「視聴断念」してしまうこともあるし、仮に死ななかったとしても、調べている最中に他のキャラの死や、重大なネタバレを踏んで、テンションが下がりなかなか続きを見る気がしなくなってしまうことがある。

このような事態を起こさないためには「人間が3人以上むごたらしく死に、かつキャラに誰にも感情移入できない作品を教えてくれ」と言うしかないのだが、まず「そんな作品を見ていて楽しいのか」という問題がある。

そして「この作品クズしか出てこないから」と言われても、そのクズを好きになってしまう可能性がそんなに低くないのがフィクションの怖いところである。

世の中「このリヴァイ兵長ってキャラかっこいいよね」という動機で進撃を読み始めて本当にリヴァイ推しになる人間ばかりではない、私のように「フロックに対してこんなに愛憎を抱えることになるとは思わなかった」と頭を抱えている奴も大勢いる。

そういう、推しが出来たが故の苦悩を抱えて作品の続きを見れなくなるぐらいなら、最初からアパートを出入りするだけの作品を選べばよいのだが、それでも私は人間が3人以上死ぬ作品が見たいのである。

ハクマン第120回

(つづく)
次回更新予定日 2023-12-10

 
カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』(太田出版)など多数。

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